「グローバル化とファッション―日本人デザイナーの社会学」

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「グローバル化とファッション――日本人デザイナーの社会学」

 明治大学商学部編『これが商学部 ビジネスと教養』同文舘出版.

藤田結子

 

日本人ファッション・デザイナー 

学生の皆さんは、海外で有名な日本人のファッション・デザイナーと言うと、誰を思い浮かべるでしょうか。若者の間では、最先端の流行を取り入れながら安い価格で売られるファスト・ファッションや、都市に集う若者たちから生まれるストリート・ファッションが人気ですから、ユニクロやA Bathing Apeを思い浮かべるかもしれません。しかし海外で最も有名な日本人のファッション・デザイナーと言えば、1980年代から今日まで変わらず、「御三家」と呼ばれる三宅一生、山本耀司、COMME des GARÇONS の川久保玲の3人でしょう。彼らはみなハイ・ファッションのデザイナーたちです。

前章で太田伸之さんが語っているように、この3人が海外で注目を浴びるようになったのは1980年代初頭です。もう30年以上も日本を代表するデザイナーであり続けているわけです。今日、彼らは70歳代となり、その長年の功績に尊敬の念を抱かざるを得ません。と同時に、なぜ彼らに並ぶ、あるいは彼らを超えるような若い日本人デザイナーが出てこないのかという疑問が浮かんできます。もちろん、Sacai(学生に人気のBEAMSでも取り扱っています)の阿部千登勢や、UNDERCOVERの高橋盾のように、海外で評価を得ている40歳代前後の「若手」デザイナーもいますが、「御三家」に比べればその知名度は低いでしょう。

その一方で、最近では世界的に見て、中国系デザイナーの台頭がめざましいです。今の日本の女子学生にとっては、3.1 Phillip Lim(フィリップ・リム)やAlexander Wang(アレキサンダー・ワン)は憧れのブランドでしょう。Anna Sui(アナ・スイ)も人気がありますね。これらのブランドは、日本の女性ファッション誌にもよく掲載されています。とくに弱冠29歳のアレキサンダー・ワンは、2013-14年秋冬パリコレクションから、ヨーロッパの高級ブランドであるBalenciaga(バレンシアガ)のクリエイティヴ・ディレクターに就任しました。バレンシアガのバッグは日本でも芸能人や若者の間で大変人気があるため、名前を知らなくとも一度は目にしたことがある人が多いのではないでしょうか。バレンシアガほどの知名度・評価の高いヨーロッパの高級ブランドにおいて、アジア系デザイナーがデザインの責任者になるのは非常に稀なことです。最近の若手日本人デザイナーにそのような大抜擢を受けた者はいません。そうであれば、先ほどの疑問がさらに膨らむのではないでしょうか。ファッション界では、若手中国系デザイナーの活躍がめざましい。その一方で、なぜ世界で活躍する若手日本人デザイナーがなかなか出てこないのか、と。

 

文化が創られる社会の仕組みを考える

このような疑問を解くのに役に立つ学問分野の1つが、芸術社会学です。芸術社会学は、社会の制度や仕組みのなかで、文化や芸術がどのように創られるのかを考える学問分野です。文学や芸術学では作品そのものや作者個人を主な対象として研究をしますが、芸術社会学では作品が創られる過程、作者や周囲の人々の関係、共有される意識や慣習、制度を研究対象とします。ファッションの場合、服そのものやデザイナー個人に注目するのではなく、あるファッションが創られるときに、デザイナーは日頃どのように考え活動しているのか、バイヤーやジャーナリストとどのようなネットワークを築いているのか、あるいはどのようなファッション界の慣習や制度がそういった人々に影響を与えているのかなどに注目して分析を行います。したがって、マクロな経済やアパレル産業の構造、ビジネス面についても考察しますが、それよりもミクロな人間の関係・行為や、マクロとミクロの中間にあるような慣習や制度を中心に分析を行います。

たとえば、マーク・ジェイコブスという大変有名なアメリカ人男性デザイナーがいます。明治大学で通学・授業風景を眺めてみると、彼がデザイナーをしているMarc by Marc Jacobsというブランドのバッグや小物を持っている学生がかなりいます。彼は現在、世界で10本の指に入るほど有名で人気があるファッション・デザイナーなのですが、それは彼のデザインがほかのデザイナーたちと比べて卓越しているからでしょうか。いいえ、それは違うようです。ニューヨーク州立ファッション工科大学の研究者のヴァレリー・スティールは、「マークはすべてのファッション編集者のお気に入りだっていうことに、かなり助けられている。彼はとてもキュートで楽しい男性。すごく外見がよくて、魅力的で、セクシー。とくに優れたデザイナーというわけではないけれど、売りやすい」と述べています。つまり、容姿が優れていて性格が魅力的であるために、ファッション界で働く人々に非常に好かれ、さまざまな雑誌やメディアに取り上げられやすい。その結果、ブランドの人気が高まっていった、ということです。

ファッション・デザイナーの人気や評価が、デザインの質にくわえて(場合によってはデザインの質よりも)、デザイナーの人間関係やメディアに強く影響されるということに驚いたでしょうか。こういった構造は何もファッション界に限ったことではないでしょう。歌唱力や演技力がとくに優れていなくても人気や評価が高まる日本の芸能界にもあてはまるかもしれません。このように、芸術社会学では、作品や作者個人の背後にある人間関係、人々の属性、共有される意識や慣習、制度を研究対象とします。

 

なぜ欧米で成功することが難しいのか

さて、先の問題に戻りましょう。海外のファッション界において、若手中国系デザイナーの活躍がめざましい一方で、なぜ日本人の若手デザイナーはなかなか脚光を浴びることができないのでしょうか。この問題を芸術社会学の視点から考えてみます。

まずファッションの世界的な中心地はパリです。毎年、春と秋にファッションウィークが開催され(通称パリコレ)、多くのブランドがステージや展示会で新作の発表を行います。世界各国のデザイナーがパリに集まるのは、ほかの都市ではパリが提供する地位を獲得できないからです。なぜなら、歴史と伝統のあるパリコレには、世界中から何千人の編集者・記者やバイヤーが集結し、そのなかにはとくにデザイナーの評判に大きな影響力を持つ人々が存在するからです。最も有名な人はファッション雑誌『Vogue(ボーグ)』アメリカ版の編集長アナ・ウィンターでしょう。彼女は映画『プラダを着た悪魔』の鬼編集長役のモデルとしても知られています。彼女が気に入り、雑誌の紙面上で、またはファッション界の仲間にプッシュした新人デザイナーは、成功への大きな手掛かりを得たことになります。上述のアレキサンダー・ワンやマーク・ジェイコブスも彼女のお気に入りだと言われています。

また、太田伸之さんの話にあるように、バイヤーはデザイナーの成功に大きな影響力を持ちます。新進デザイナーにとって、ニューヨークのバーニーズのような有名デパートや、パリのレクレルールのような有名セレクトショップのバイヤーから買い付けられることは成功への重要な一歩です。有名店に商品が置かれることで、その商品を見た世界各国のバイヤーがこぞってそのデザイナーの商品を買い付けるようになります。

社会学者のユニヤ・カワムラによれば、デザイナーは、そのような有力者から「正統性」を承認されてはじめて、世界的に認められるデザイナーとなることができます。このように、有力な編集者・記者やバイヤーの目に留まることがファッション界での成功の鍵なのです。さらに、マーク・ジェイコブスの例でみたように、このような人々と社交をして、ネットワークを築くことも欠かせません。必要なときに電話をかけて頼みごとをできる間柄になれば最高です。しかし残念ながら、パリコレと比べれば、東京コレクションにやって来る欧米の有力な編集者・記者やバイヤーは少ないです。したがって、日本のファッション・デザイナーが世界で成功したければ、パリやニューヨークなどの欧米の有名なファッションウィークに出て行くことが今でも重要だとされています。

しかし、そのような舞台でショーや展示会を開催しても、欧米のファッション界で日本人デザイナーが有力者に気に入られたり、見出されたりすることはかなり難しいと言えます。芸術社会学の視点から見れば、その1つの理由は、言語や文化の壁により、有力な編集者・記者やバイヤーにアプローチをしたり、親密なネットワークを築いたりする手段が比較的少ないからです。今日活躍がめざましいアレキサンダー・ワンやフィリップ・リム、アナ・スイなどはみな、中国生まれの中国人ではなく、祖父母あるいは親がアメリカに移民し、アメリカで育った中国系アメリカ人です。彼らは英語を第一言語とし、アメリカで高等教育を受けていますから、欧米の有力な編集者・記者やバイヤーと英語で会話ができます。学生時代に築いたネットワークがあります。また、同じアメリカ文化の中で育っているのでさまざまな美的感覚やユーモアも共有しています。これは流行やセンスを重視するファッション界では重要なことです。したがって、有力者と知り合いになったり、積極的に自分を売り込んだりというときに、言語・文化の壁はほとんどありません。

その一方で、日本人デザイナーの場合、1960年代以降の日本から欧米諸国への移民は中国や韓国に比べて大変少なく、日本で生まれ育った後に海外で挑戦する者が大多数です。そのため、英語を話せない、ネットワークを持たない、共通の文化や感覚を持たないなどの点で大変不利になります。私が海外で活動する日本人デザイナーたちにインタビューをしたとき、その大半は、欧米のファッション界の人々との社交やネットワーク作りが苦手で、編集者・記者やバイヤーに積極的に自分を売り込むことができない、と話していました。

もう1つの理由として、中国系デザイナーと比べれば、国境を越えた移民ネットワークが少ないこともあげられます。アメリカでは1965年に移民法が改正された後、中国系移民が急増しましたが、中国系移民一世が就く代表的な仕事の1つは服飾・縫製業です。実は、世界的に成功した中国系アメリカ人のデザイナーの大半は、服飾・縫製業に関わる親を持っている二世、三世なのです。アレキサンダー・ワンの場合、母、実兄と義姉がブランドの経営面を支えるという家族経営のビジネスを営んでいます。また、母親は中国に縫製工場を所有しています。デザイナーが駆け出しのときには、一定の量を売り上げないとブランドとしては定着しません。新人デザイナーにはそうした「量の壁」がありますが、母親が中国に工場を持っていたワンは作っては売り出すことができました。新たな工場が必要となったときは、母親が中国人脈ですぐに探してきてくれたといいます(日本経済新聞「『アレキサンダー・ワン』生んだ民族大移動 NYファッション前線」2013年3月9日)。このように、アレキサンダー・ワンは、ファッション界の有力者と親密な関係をうまく築いただけでなく、中国系移民のネットワークをフルに活用して成功を収めたと言えます。

最後に、マクロな側面に注目すれば、デザイナーの出身国の経済状況も影響すると言えます。現在、欧米資本の高級ブランドにとって中国は重要な市場です。近年の中国における高級ブランド商品の需要増が企業全体の利益増を牽引しているため、欧米資本の高級ブランドは、中国系モデルを起用したり、中国での積極的な広告キャンペーンを展開したりしています。中国系デザイナーを高級ブランドのクリエイティヴ・ディレクターに起用することは、中国の消費者の購買欲を高める戦略の1つだと推測できます。

1980年代に起きた「日本人デザイナーブーム」を振り返ってみると、日本の「御三家」のデザイナーが世界で脚光を浴び始めた時期は、日米貿易摩擦や海外企業の買収などが起こり、世界で日本の経済的な存在感が増していた時期でした。山本耀司と川久保玲がパリコレに参加し始めたのは1981年です(三宅一生は1973年)。日本が経済的な脅威となっていたこの時代に、日本からパリコレに進出して来たことは、欧米諸国で注目を浴びやすかったでしょう。とくに、当時の「御三家」の服は、黒を多用する色使いや斬新な素材・縫製方法、身体にフィットしないシルエットを特徴としていて、女性的な美しさの表現を重視してきた欧米のファッション界の常識を転覆するものでした。これは、先進国と言えば欧米諸国という当時の常識を覆し、近代において非欧米諸国のなかから初めて世界的な経済パワーとなった当時の日本の姿と重なるイメージだったのではないでしょうか。また、この「日本のデザイナーブーム」の背後には、当時の太田伸之さんのように、欧米向けに商品を買い付けたり宣伝したりと、日本人デザイナーをビジネス面で支える人々の活躍がありました(詳しくは、太田伸之著『ファッションビジネスの魔力』毎日新聞社、2009年を参照)。クリエイティヴを担当する側とビジネスを担当する側の協働がデザイナーの成功には不可欠なのです。

現在の日本では、少子高齢化により国内市場が縮小していくことが予測されています。また、中間層が形成されて、多数の人々が急に高級ブランドを買い漁るという時代も過ぎました。今でも日本は高級ファッション・ブランドの大きな市場ではありますが、将来的には日本の市場の縮小を見据えて、経営陣は日本よりもアジアの経済新興国を重視するようになるかもしれません。海外のファッション界で日本人が、高級ブランドのクリエイティヴ・ディレクターに抜擢されたり、ブランドを起こして注目を浴びたり、という機会を得ることはますます難しくなりそうです。そうであれば、デザイナー個人としては、クリエイティヴな面だけでなく、言語能力・文化的素養などの「文化資本」や、それを基に広げていくネットワークが成功の鍵となるということを理解し、ビジネス面を支える人々と協力して戦略的に挑戦していくことが重要でしょう。

 

世界で活躍する人になるために

 以上は日本人デザイナーのお話でした。しかし、このような仕組みはほかの職業にもよくあてはまるでしょう。皆さんのなかには、将来グローバルに活躍したいと考えている人はいませんか。海外に出て活躍するには、ファッション界のケースで見たように、その場所で働く人々が使う言語で話し、さまざまな職種の人々と仲よくなり、ネットワークを築く能力が重要になってきます。自分が考えた作品・商品や企画がいくら優れていたとしても、それを製作する人、情報を伝える人、流通させる人、購入する人と円滑で良好なコミュニケーションを取れなければ、世に出て広く普及することはないのです。

そのためには外国語の能力をできる限り高めておくべきでしょう。また、さまざまな地域の文化に対する理解を深め、多様な文化的バックグラウンドの人々と議論する経験を積んでおくことも重要です。そのためには、外国の社会や文化に関する講義を受けたり、英語で行われる授業で議論したりすることが有効です。これらの勉強はすべて、明治大学商学部で開講されている授業で行うことができます。またキャンパス内にある国際交流ラウンジに通って留学生と交流することも可能です。

この章を読んで、海外で成功するには何が鍵となるのかもうわかりましたね。あなたも将来世界に羽ばたけるよう、今日からその一歩を踏み出してみませんか。

 

 

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