「グローバル化時代のファッションを創る人々」

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「グローバル化時代のファッションを創る人々」(2015年) 抜粋 出典

藤田結子

 

現在、ファッション産業では大量の人とモノが国境を越えて移動しています。毎年、ファッション・ウィークの時期には、ニューヨークからパリへというように、何千人という製造事業者、デザイナー、バイヤー、記者・編集者などが移動しています。また、商品の生産は、たとえば企画は東京、生産は中国、展示はパリというように、国境を越えて行われています。このグローバル化が急速に進展し始めたのは1980年代だといわれていますが、その主要因として、インターネットなどのコミュニケーション技術の発達にくわえ、交通手段の発達と人の移動の活発化が指摘されています。そこで、国境を越えて活動するファッション界の人々について見て行きたいと思います。

 

国境を越える日本人デザイナー

ファッションを学ぶ留学

80年代後半以降、グローバル化が急速に進み、家族呼び寄せ、国際結婚、留学生、駐在員、高度技術者など、国境を越える人の移動が世界中で活発化しました。ファッションを学ぶために日本から海外の教育機関に留学する若者もこの頃から増加し始め、2000年代半ばにそのピークを迎えています。

日本国内でファッションを学べる有名な学校と言えば、文化服装学院を筆頭に、ドレスメーカー学院、バンタンデザイン研究所、エスモード、モード学園など数多くのファッション専門学校が存在します。とくに文化服装学院は高田賢三、山本耀司、渡辺淳弥、高橋盾など世界的に有名なデザイナーを輩出しており、ファッション教育機関としての評価が高いです。

他方、欧米諸国では、専門学校のみならず大学がファッションデザイナーを育成する教育機関として大きな役割を果たしています。たとえば、世界のファッションスクールのランキングでよく名前のあがる教育機関として、ロンドンのセントラル・セント・マーティンズ(Central Saint Martins College of Art and Design、以下、セント・マーティンズと表記)、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション(London College of Fashion)、ニューヨークのパーソンズ(Parsons The New School for Design)、ファッション工科大学(Fashion Institute of Technology)、 パリのクチュール組合学校(Ecole de la Chambre Syndicale de la Couture Parisienne)、エスモード(Esmode)、ベルギーのアントワープ王立芸術学院(The Royal Academy of Fine Arts Antwerp)、ミラノのマランゴーニ学院(Istituto Marangoni)、フィレンツェのポリモーダ(Polimoda)などがあげられます。

上記のうち、イギリス、アメリカの教育機関は芸術系大学です。これらの大学にはファッションを専攻できるプログラムが組み込まれており、学士・修士・博士号を取得することが可能です。また、英語で学べることも、世界中から留学生をひきつける要因となっています。とくに、日本でファッション留学を希望する学生の間では、Alexander McQueen、John Galliano、Stella McCartney など多数の有名デザイナーを輩出したセント・マーティンズの人気が高く、東京で活躍する新進気鋭の若手デザイナーたちが学んでいます。

イギリスの芸術系大学は、新しいコンセプトを考える力や創造性を伸ばす教育に力を入れており、セント・マーティンズも例外ではありません。ファッション科のBAコースは3年間(1年間のインターンをいれる場合は4年間)の学士課程で、リサーチ・デザイン、パターン作り、実物制作、イラスト・プレゼンテーションなどのメイン・スタディが80%、リサーチ、論文などのカルチュラル・スタディが20%の構成になっています。1年目、2年目から、授業を受けるというよりも実習が中心であり、毎学期だいたい3、4つの課題(例「ニットウェア」「ジャケット」など)が出されます。1つの課題ごとに、2週間から1ヶ月程度でリサーチとデザイン、制作、プレゼンテーションをこなさなければいけません[1]。留学経験者の話によると、「必ず最初にやるのは、リサーチブックです。スケッチブックにリサーチした資料を貼ったり、コラージュをしたり、絵を描いたり、生地を編んでみたものを貼り付けたりします。自分でテーマを決めて、それに基づいてリサーチをして発展させてっていうプロセスをスケッチブック1冊全部に表します」。

セント・マーティンズなどの有名校では、著名デザイナーを輩出したネットワークを通して、高級メゾンでインターンを見つけることも可能であり、デザイナー教育の場として非常に恵まれた環境を有しています。

このような海外の学校でファッションを学んだ日本出身の学生の進路には、主に、①在籍した教育機関がある都市を拠点に活動を続ける、②活動の場をパリへ移す、③現地で経験を積んだ後日本へ帰国して活動を始める、というパターンが見られます。

 

 「移住システム」――ファッション留学の斡旋機関

国際移動研究では、人々の国境を越える移動をサポートする社会機関やネットワークの総体を「移住システム」と呼びます。ファッションを学ぶために留学する人々の大半も、この「移住システム」に含まれる代理店や斡旋団体を通して海外へ渡っています。

具体的には、まず、専門学校の一部は海外留学プログラムを設置しています。生徒たちは日本で決められたコースを終了した後、欧米の提携校に通うことができます。たとえば文化服装学院は、イギリスのノッティンガムトレント大学、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションへの留学を支援しています。また、エスモード・ジャポンや東京モード学園にはパリ校があり、多数の学生を派遣しています。

つぎに、公益財団法人神戸ファッション協会が主催する神戸ファッションコンテストが入賞者を海外に送り出してきました。1999年以降、このコンテストはイギリスのノッティンガムトレント大学、パリ・クチュール組合学校、イタリアのマランゴーニ学院などへの留学支援プログラムとして開催されており、送り出した留学生の数は90名に上っています。

これらはすでに日本の専門学校などでファッションを学んだ経験がある者が利用する経路ですが、海外で初めてファッションについて学ぶ、あるいは比較的経験の少ない者にも移住経路が用意されています。大学受験予備校で芸術留学のコースが開講されており、欧米の芸術系専門学校・大学への入学をサポートしています。その内容は、英会話やポートフォリオやエッセーの作成指導などとされています。たとえば日本外国語専門学校では、ロンドンにある芸術大学のスタッフを招き、講義や面接試験などを実施しています。また、中小の留学・旅行代理店で、「ファッション留学」が商品化されています。たとえば、ニューヨークの語学学校で英語を学びながら、同時にFITで修了証明書(certificate)を取得する留学プログラムなどが提供されています。

 

海外のファッション業界で働く

海外のファッション業界でデザイナーとして、あるいはデザイナーを志して働く場合、現地の会社や個人に雇用されて働く、現地で創業するなどのパターンがあります。そのためには、現地に長期滞在するか、移住することになります。その主な移住先はパリ、ニューヨーク、ロンドン、そしてミラノですが、ここではファッションの世界的中心地とされているパリを例に見ていきましょう。

パリで日本人が働く場合、現地の高級メゾンやアパレル企業に採用されてパタンナーやモデリストとして働くケースがよく見られます。それには2つの要因があります。第1に、パリのファッション産業では非正規雇用者が常に必要とされているからです。ファッション・ウィークの事前準備から開催時期まで、現地のファッション産業は繁盛期となります。この時期、服の生産を担当する部署は、正社員に加えて、多くの派遣社員やスタージュ(見習い)を雇い入れます。正社員として雇用されることは難しいけれども、この期間であれば非正規として雇用されやすくなります。

第2に、このように常に求人がある状況のなか、日本人は「器用」「技術が高い」という評価やイメージがあるために、パタンナーやモデリストとして採用されやすいそうです。まず非正規雇用(スタージュや派遣)のパタンナーやモデリストとして現地のファッション界に入ります。その後、経験を積んで正規雇用のモデリスト、パタンナーとなる者もいます。このような状況はニューヨークでも見られます。

技術者であるパタンナー、モデリストと比較すると、クリエイティヴな仕事をするデザイナー、とくに大手メゾンのデザイン部門で働く日本人は大変少ないといわれています。厳しい競争を勝ち抜いて大手メゾンにデザイナーとして採用されることはたとえフランス人でも難しく、日本出身のデザイナーにとっては非常に困難なのです。

数少ない例として大手メゾンでキャリアを重ねてきたデザイナー・大森美希の経歴を見てみると、文化服装学院アパレルデザイン科卒業後、2000年に渡仏し、スタジオ・ベルソーで1年間学びました。その後、Balenciaga、Lanvinでデザイナーとして採用され、2011年には、Nina Ricciのヘッド・デザイナーに就任しています。

最近ではアメリカ系中国人デザイナーの台頭がめざましく、とくにAlexander Wangは、2013-14年秋冬からヨーロッパの高級ブランドであるBalenciagaのクリエイティヴ・ディレクターに29歳で就任しました。しかし、このようなフランス資本の大手メゾンはフランスやイギリスなどヨーロッパかアメリカの白人をクリエイティヴ・ディレクターに採用する傾向が強く、アジア系は比較的不利な立場にあるといいます。

企業で働く以外の選択肢としては、現地でのブランド創業があげられます。日本を離れてパリでブランドを創業したデザイナーの代表は、Kenzoの高田賢三です。彼は文化服装学院を卒業後、1965年に渡仏して以来フランスを拠点とし続けています。また、1970年に渡仏し長年高田賢三の下でアシスタントを務めた入江末男も、後にIrieを創業しました。

しかし最近では、パリに渡り長期滞在する日本出身のデザイナーやファッション関係者は60~70年代当時より増えているものの、ファッション業界や経済状況の変化により、若い世代の日本人デザイナーが現地で創業し、成功することは難しくなっています。一度ブランドを立ち上げても資金繰りがうまくいかず、新作の発表をやめる若手デザイナーも少なくありません。

 

日本を拠点にファッション・ウィーク時に渡航

これまで長期滞在・移住型の国際移動について述べてきましたが、日本の多くのデザイナーは、日本を拠点としてファッション・ウィークのときに短期滞在するという形で海外に渡っています。世界中の様々な都市で、毎年2回、プレタポルテ(既製服)の新作発表イベント、すなわち「ファッション・ウィーク」が行われています。最も重要な都市は、パリ、ニューヨーク、ミラノ、ロンドンとされ、これらは4大ファッション・ウィークと呼ばれています(表2)。ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、パリの順にそれぞれ約1週間に渡って開催され、世界中からデザイナー、バイヤー、記者・編集者などのファッション関係者が国境を越えて移動します。

この4つの都市は、ファッション業界では4大都市といわれていますが、国際移動研究ではニューヨーク、ロンドン、パリにくわえて東京が「グローバル都市(global city)」と呼ばれています。グローバル都市とは、社会学者サスキア・サッセンが提示した用語で、多国籍企業の中枢が存在し、金融・株取引、法務、イノベーション、通信・メディア等の世界的センター、くわえてサービス・情報産業の被雇用者が多い都市を指します。東京は上記の3都市に匹敵する「グローバル都市」とされる一方、ミラノはよりローカルな都市とされています。しかしファッション産業においては、東京よりもミラノのほうが、世界的に発信力のある都市だとみなされています。

ファッション・ウィークの期間、世界中の小売店はバイヤーを送って、展示会やショールームで商品の買い付けを行います。欧米の都市には世界への強い発信力を持つ店が存在し、パリではセレクトショップのColette、L’eclaireur、デパートのLe Bon Marche、ロンドンではHarvey Nichols、Selfridge、ニューヨークではBarney’s New York、Saks Fifth Avenueなどがあげられます。これらの有名店に買い付けられ商品が置かれることによって、より多くの業界関係者の目に触れるようになります。同時に、有名店のバイヤーからお墨付きを与えられたことにもなり、トップダウン式に他の店もこぞって買い付けるようになるといいます。

ファッション・ブランドにとっては、パリやニューヨークでファッション・ショーを開催するには多額の資金が必要となるため、現地のファッション業界に参入する一番手軽で確実な方法は合同展示会に出展することです。合同展示会には、大量販売向けの展示会と、クリエーションを重視する展示会があります。後者はファッション・ウィークの時期に約4~5日間開催されます。しかし、この短い展示会の期間で多くのバイヤーに商品を見てもらい、買い付けてもらうことは難しく、100を超えるブランドを売る展示会よりも、一定の評価のあるコレクションを集中して見るショールームは、バイヤーにとっては効率的です。各ショールームは自社のテイストにあったブランドを選び、バイヤーなどの顧客に紹介し、販売を担当します[2]。このような展示会やショールームへの参加を通して、多数のブランドが日本からパリやニューヨークのファッション・ウィークに参加し、現地のファッション業界に参入しています。

 

「パリの仕組み」

4大都市のうち、とくにパリは世界中から多数のファッション関係者が集まる国際的なファッションの中心地となっています。国際移動研究では、多数の人々がある場所をめざして移動するのは、そこに「プル要因」があるからだと考えられます。パリの場合、その最大の「プル要因」はファッションの高度な制度化だといえるでしょう。

このパリのファッション制度を明らかにした代表的な研究者として、本書の執筆者でもある川村由仁夜氏があげられます。川村氏は著書『パリの仕組み』(2004)[3]の中で、パリにはクリエイティヴィティの評価に大きな影響力を持つ者が存在することを指摘しています。若手デザイナーは、そのような人々から「正統性」を承認されてはじめて、世界的に認められるデザイナーになることができるというのです。

つまり、パリで独自のブランドのデザイナーとして作品を発表したり、大手メゾンでデザイナーとして働いたりすることを通して、デザイナーとしての地位を高めることができます。大手メディアの編集者・記者の目に留まりメディアに掲載されることがあれば、より象徴的な地位が高まります。さらに世界中から集まってくるバイヤーの目に留まれば、各国のセレクトショップやデパートに商品が置かれ、経済的な利益を増やすことも可能になります。このように、パリは世界のファッションの中心地となっていることから、世界中から多くのデザイナーがパリをめざしてやってきます。たとえば2015年の秋冬ファッション・ウィークに公式参加してショーを行った日本のレディース・ブランドは、Issey Miyake、Comme des Garcons, Yohji Yamamoto、Junko Shimada、Junya Watanabe, Undercover、Tsumori Chisato, Sacai, Unrealage, Zuccaであり、日本を代表するデザイナーのブランドが名を連ねています。しかし、この中に現在パリを拠点としているデザイナーはいません。普段は東京や他の都市を拠点に活動をし、ファッション・ウィークのときだけパリにやって来ます。事実、世界で高評価を得た日本のブランドの大多数は、デザイナーが日本で創業し、国内で固定客を獲得し、収益を安定させてから、日本を拠点にして海外に進出したブランドだといえるでしょう(表3)。

 

東京から世界へ――東京ファッション・ウィークの意義

では、パリやニューヨークをめざして、デザイナーが東京から出て行く「プッシュ要因」は何でしょうか。それは、川村氏が指摘するように、ファッションの流行を生み出し、デザイナーの評価を高めて世界中にその名を普及させるという点において、東京はパリのファッションシステムが持つほどの構造的な強みと有効性を持っていないことにあります(Kawamura 2004)。したがって、世界を舞台に活躍したい、あるいは自分の作品を発表して評価されたいと願うデザイナーは日本を出て、長期あるいは短期の間パリに滞在して活動するのです。

2015年現在、東京のファッション・ウィークは、日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)が主催し、毎年3月と10月に開催されています。2011年3月から、メルセデス・ベンツがタイトルスポンサーとなり、40~50程度のブランドが公式参加しています。しかし、パリやニューヨークなどと比較して世界中からやって来るバイヤーや記者・編集者の数は少ないです。歴史や知名度、制度上の弱さにくわえて、開催の日程がパリの後に来るうえ期間が長い、ショーや展示会の場所が離れている、などの点が海外や地方から人を呼び込むうえで障害になっているとたびたび指摘されています。

とはいえ、東京ファッション・ウィークには重要な意義があります。その1つとして、若手デザイナーの支援の場となっていることがあげられます。実際、東京ファッション・ウィークの第1のスローガンには、「世界に向けた新人デザイナーの登竜門に」ということが掲げられています。東京ファッション・ウィークは、日本国内に拠点を持とうとする若手デザイナーに対し、日本の、ひいては世界のファッション市場に参入する足掛かりを与えるという点において機能しているのです。

さらに、ファッション・ショーは基本的にはファッション業界で働く人々が入ることのできるイベントですが、東京ファッション・ウィークでは、個人客や学生なども入りやすいショーが少なからず開催されています。学生にとっては、ショーの現場に触れることによって、ファッションの世界への知識や関心を深めることができます。つまり、東京ファッション・ウィークは重要な学びの場としても機能しているのです。ファッションに関心のある学生の皆さんには、ぜひファッション・ウィークに会場に足を運んでほしいと思います。

世界中からパリへとファッション関係者が移動する理由は、その構造的な強みに起因していると指摘されています。そうであれば、東京ファッション・ウィークにとっても、その制度化が鍵になるといえるでしょう。東京のファッションシステム全体をより高度に制度化していくことによって、東京から海外への移動だけでなく、海外から東京への移動もより増えていくのではないでしょうか。

[1] 鈴木由子、2001、「セントラル・セントマーチンズ美術大学における学びの現場より」『東京家政大学博物館紀要』第16集

[2] 日本貿易振興機構 「欧州市場にける販売の手引き」2008年5月

[3] 川村由仁夜,2004,『パリの仕組み』日本経済新聞社。より学術的な内容の文献として、Kawamura, Yuniya, 2004, The Japanese Revolution in Paris Fashion, Oxford: Berg.

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