インタビュー 岸本若子 (ELEY KISHIMOTO/イーリーキシモト デザイナー) #London

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岸本若子さんプロフィール

1965年北海道札幌生まれ。1986年渡英。1992年にCentral Saint Martinsを卒業し、Mark Eley氏とELEY KISHIMOTOを設立。Louis Vuitton, Marc Jacobs, Alexander McQueenなどのブランドにプリントテキスタイルを提供。95年にコレクションの発表を開始し、2001年にロンドンコレクションに初参加した。www.eleykishimoto.com
 
(2009年5月、ロンドンのELEY KISHIMOTO アトリエにてインタビュー)
 
_MG_5878どんな子ども時代だったのか

岸本:母の影響というのは、子どもの頃に意識していたわけではないですが、働く女性という像は見ていたのかなと思います。ファッションについて、「これがきっかけでぜひ私も(デザイナーになりたい)」という、特別な瞬間はなかったと思います。でも好きだったことは好きだった。
 中学か高校の頃、学校が私服だったために、自分でいろいろ作っていました。そのときにこれを将来職業にしようと思っていたわけではないのですが、趣味で絵を描きに行ったり、お教室のようなところに行ったりしていました。高校を出る頃に、そういうクリエイティヴなところへ行きたいというのはあったと思います。

Q :大学のときは学校に行く以外に何か活動などはされましたか。

岸本:すごく無精なものですから、クラブに入って何かしてというタイプではなかったんです。

Q :女子美を選んだきっかけは?

岸本:絵画の教室の先生方が代々女子美だったんですね。女子美へ行きなさいということではなかったのですが、「あの女子美はね」という話は聞いていたので、何か良さそうかなというのがありました。
 
Saint Martins 時代

Q :卒業をしたその年にもうCentral Saint Martinsに行かれたのですか。

岸本:そうです。とくに短大だったので短いじゃないですか。クリエイティヴなところに行きたいと思うと、高校生のときから卒業するまで何年間しかないですよね。だから、短大出て就職するというのは何かつまらないなという感じがしました。学生の頃、もうちょっと何か見てみたいというのがあったと思います。

Q :なぜSaint Martins、なぜロンドンを選んだのですか。

岸本:どこで調べたか、私もあやふやになっているのですが、出版物を見たりしていると、アートな教育というのが活発な気がしたんですね。もうちょっと勉強するのだったら、日本だとか東京ではなしに、外国へ出ちゃうのも面白いかなって、ちょっと興味がありました。それで、女子美のときの先生に「こんなことを思っているのですが」と伝えたら、「じゃあ、僕の友達の〇〇さんが……」と、グラフィックでRCAへ行った人がいるから彼に話を聞いてみたらということになりました。そして、Saint Martinsという学校があって、ファッションとかテキスタイルをやるんだったら面白くていいんじゃない、とそんな感じでしたね。

Q :当時は86年ですよね。今ではたくさん日本人の留学生が来ているのですが、当時はあまりいなかったのでは……。

岸本:今よりは少なかったですね。いなかったわけではないですよ。

Q :多少はいたのですか。

岸本:「何年生に〇〇さんがいるらしいよ」というぐらいはあったけれども、あまりいなかったですね。たまたま日本人は1人同学年にいました。

Q :実際に来てみて環境には恵まれてましたか。

岸本:新しい環境で勉強ができるという、そういうところにいられるということが最初来たときは新鮮だった。クリエイティヴなことだから、そんなに入りづらかったということもなかった。若かったこともあるし、おっくうなこともなかったし、環境的には恵まれていたとは思います。今から比べるとあの当時は、日本人だろうが、イギリス人だろうが、あれだけ自分のスペースが持てたということは、すごかったのかもしれない。今はもう本当に学生も多いし、大変ですよ。

Q :昔は学生が少なくて、自分のスペースが与えられて作業ができたのでしょうか。

岸本:そうです。本当はそれが普通なのかもしれない。

Q :今英語はネイティヴのようだと思うのですが、最初苦労されたことはありましたか。

岸本:そうですね。英文学を勉強しに来たわけではないので、その意味では楽だったかもしれない。一応高校生並の読み書き、それなりの会話ぐらいはできたので、それほど苦はなかったと思うんです。でも、やっぱり最初に来たときは学校の先生が言っていることが全部わかっても、みんなが集まって、ガーって言い出すと、「何を言っているの?」ということはあったかもしれないです。

Q :イギリスに来て、どれぐらいから言葉の問題がなくなったような感じでしょうか。

岸本:Saint Martinsには86年の9月に行き始めたと思います。前もって、たぶん6月の末か7月の初めに私が来て、学校が始まるまで英語学校には行きました。

Q :その後、3年間BAですか?

岸本:4年間です。

Q :4年間ですか。その後2年間またMAに行かれたのですよね。それはなぜですか?

岸本:まだ帰りたくなかったから(笑)。
 
コレクションの発表
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岸本:92年にMAが終わって、その年に結婚しました。それで、ブリクストンからそんなに遠いところではないですが、そこでMarkと一緒にスタジオ借りて、ちょっと始めたという感じです。

Q :95年に最初のコレクションを製作されました。最初はレインウエアだけですか?

岸本:始めた動機も、コレクションやってやるぞっていう、そんな意気込みではなく、「何か作ろうか」というように始まりました。それがたまたま「レインウエアやる?」というふうに、何の意味もなかったんです。アクセサリーをプリントしても面白いと思ったからです。レインコートと傘と、マフラーとかそういうものを作ったのが95年です。

Q :最初始めて数年ぐらいから、プリント作品に著名なクライアントが多かったのはなぜですか。

岸本::私たち自身のコレクションを始める前に(アレキサンダー)マックィーンや、フセイン(チャラヤン)といった新進デザイナーのショー用にプリントをして提供していたというのはあります。

Q :同級生だったのでしょうか?

岸本:同級生だったり、在学中に1つ上だったり、1つ下だったりとか、顔見知りというのがあったんです。本当にその頃は私たちも若かったし、彼らも若かった。だから、自分たちで大きな企業のイタリアの生地屋さんに注文してというのではなく、ショーの前日に何かちょっとやりたいと思っているプリントをやってあげるっていう、まだ学生っぽいところがありました。それで、92年頃に小さなプリント台買って、そこで自分たちでやっていた。それから、「そういうことをするところらしいよ」というのがじわじわと知れわたっていったような感じです。
 
クリエイションの方法

Q:プリントの柄を考えるときはどのようにしますか。

岸本:プリントを考えるときは、架空の人物を考えたり、全体的な雰囲気を考えたりします。その柄がストーリーをしゃべるわけじゃないですか。どういう場面にどんな柄が合って、何かこういう雰囲気が出てくるということがあるんですよね。あとはもう何か割り切って、バランスを取るのに小柄なものがあるといいねということはあります。

Q:ある人のライフスタイルとかをイメージして、そのコレクションごとに何か作られているということですか。

岸本:そうですね。この架空の想定というのが私のお決まりなところかと思います。今回のテーマはアフリカ、などと出すよりは、何か新しい想定に入れて出すのが自然だという感じがします。そのほうが私の頭の中でも整理がしやすいというのはあります。

Q: 基本的には、その人は女性になるかと思うのですが、イメージの中で何か、その女性に共通点はありますか?

岸本:ちょっとひとひねりあるような女性である気がします。その女の子は、頑張って何かやっているけれども、暗いところもあって。普通の人ですよね。私たちの洋服はカラフルでハッピーでということをよく言われるのですが、それも1つあります。でも、悩みというか、それなりにちょっと背負っているものはある。現実的にはみんなそうですよね。雑誌で見ているきらびやかな女性という感じではないです。

 あと、ファッションの中ではテーマがはっきりしているのは喜ばれるけれども、ファッションのシーズンが6ヶ月だからといって、全部をガラッと6ヶ月で変えるわけではありません。その前回の引き続きをやるのではなくて、一応テーマとして前回とは違うものを出すというのがファッションの会社としてあります。それでも、引き続いているところ、そのブランドのコアになるところがあります。それを無理して変えることはありません。

 (デザインやイメージを生み出すときに)身の回りにあるものから発見をする、ということがよくあります。それは、女性であったり、インスピレーションがあるものであったり、台所の片隅であったり。身の回りにあるものということを前からよく言ってきました。こう自分の目で見るもの、身の回りにあるものから小さな発見をしたり、それが見るときによって違うように見えてきたりします。そういうものを使って、毎回のコレクションをやっているという感じです。
 
イギリスのファッション界から見る「日本らしさ」

Q :欧米の業界は、「日本らしさ」を求める傾向はありませんか。

岸本:昔は日本のものがこちらになかった。今は氾濫しているからしょうがないのではないでしょうか。日本人が下手に日本のものを作って何か売っても……とは思います。

Q :普段もプリントのデザインをされるときは「日本らしさ」を意識することはないでしょうか。

岸本:日本らしいものというのが、結局、世界共通のものであることはよくあります。とくに、幾何学柄だと、麻柄とか、昔からある日本の小紋柄とかいっぱいありますね。本当に日本らしいものもあるけれども、よく見たら、ヨーロッパでも同じパターンがよくあります。違う名前で出ているかもしれないけど、あの六角形の柄は、日本であれば亀甲というけれど、イギリスであれば違う名前になる。色の付け方によって、まったく見え方が変わってくることもある。市松模様だって、チェッカーボードとして、イギリスでもあるわけです。そういう日本人の目でそういうパターンを見る、ということが私にあってもおかしくないわけです。私のおばあちゃんはいつも着物とか着ていましたし。だから、とくにそういうのは意識していません。

Q :ファッション業界の中でELEY KISHIMOTOは日本的と言われることはあるのですか。

岸本:最初のころはELEY KISHIMOTOというのは、国籍がわからないというところが皆さんの中にあって、KISHIMOTOというのはたぶん日本人だろうなというのがあったと思います。ただ、もう少し前、日本のコンピューターゲームのようなもの、ソニーとかが結構新しかった80年、90年代だったらもっと言われたかもしれません。「Anglo Japanese company」と書かれることはあるけど、最近では国籍について追及されることはあまりないですね。

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