インタビュー 鈴木友昌(アーティスト) #London

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鈴木友昌さんプロフィール
1972年茨城県出身。1997東京造形大学卒業後、1998年に渡英、Goldsmiths College、City And Guilds of London Art Schoolで学ぶ。現在はロンドンを拠点に活動。CAPCボルドー現代美術館(2014)、シカゴ美術館(2013)、Museo Marino Marini(フィレンツェ、2011)、Scai the Bathhouse(東京、2011)などで個展を開催。作品のスタイルは等身の1/3の木彫作品。
詳細はギャラリーウェブサイトへ www.scaithebathhouse.com/ja/artists/tomoaki_suzuki/
 
(2011年3月、ロンドンにてインタビュー)
 
渡英のきっかけ

Shaka©Scai the Bathhouse

Shaka©Scai the Bathhouse

Q :(大学を)卒業してからなぜロンドンに行こうとしたのですか。

鈴木:(大学に)卒業後、特に就職先もなく、鬱的になっていました。日本の経済も傾き始めてて、大学放り出されても、作家といっても日本はそんなに環境が整っていない。スタジオやアトリエも、友だちとシェアして借りていたりしたんですけど、希望が見出せないというか、何していいかわからないみたいな状態が続きました。アルバイトも点々として、昔はプー太郎と言われたんですけれども、今はニートですか、本当にそういう状態で、何していいかわからないみたいなのが1年半、2年ぐらい続きました。

 ……広尾にあるアンティークショップでアルバイトで仕事をし始めました。その会社に働いて、ここのアンティーク修理工で一生終わってもいいかなみたいな感じだったんですね。造形大学でいろいろ実在を触っていろいろやっていたから結構覚えが早くて、何年もしているぐらいのレベルに行こうと思えば、割と早めに進めた。これでも良いかなあと思っていたら、そこでまた不景気の影響で会社も人事削減するみたいな話にあって、一番若いやつからから切ると。そしたら僕だったんです。一応働いた分だけの給料はもらえるような形にしてもらって、「わかりました、じゃあ、辞めます」みたいになって、もう呆然としました。
 本当、気持ちわかりますね、今の若い人たちの、何やっても駄目みたいな、そういう感じで。僕ぐらいの30代の一番元気な人たちが仕事もなくて、さまよったり、一番見ててかわいそうなんだけれども、すごくわかるんですよ。自分もそうなりかけたところだったから。
 
 それで、そのお店の送迎用のワゴンに乗ったんですね。そうしたら雑誌がいろいろ置いてあって、女の子の雑誌にそこにお店の品物が載っていました。そこで『Olive』の見出しに「イギリスに行かなきゃだめ」と書いてあって、それが目に止まったんです。気晴らしにどこかへ旅行しようかなと考えていたとこで、いきなり「イギリスに行かなきゃだめ」と書いてあって、そうかじゃあイギリスに行くか、と。開いてみたらスパイス・ガルーズとか、デミアン・ハーストとか、トレインスポッティングとかが載っていた。考えてみたら今イギリスじゃん、と。何か面白いかもしれないから、ちょっとイギリス旅行してみようかなあと思ったのが、1998年の1月の頭に来て、数週間滞在したのがきっかけです。

 Goldsmithsに行く予定はなく、2~3週間ぐらいの旅行だったけれど、1週間ぐらいしたら、もう日本語がしゃべりたくなってきた。友だちがいないから、美大に行けば日本人がいると思って。SladeとRCAとGoldsmithsは彫刻、アート、ファインアートがあると、学校めぐりみたいにタクシーに乗っていろいろ回って、Goldsmithsの廊下をぶらぶら勝手に入って歩いていたら日本人の学生がいた。「日本人ですか」みたいな感じで話しかけて仲良くなって、それが青山君というアーティストの友だちです。
 一応、海外に行くので、こういうことやっていたというポートフォリオを作って、A4の透明のファイルにたくさん入れて持って行ったんですね。それも造形大で作った人体とか、粘土で作った人物像とかそういうのをただ入れただけで。それを青山君が見て「こんなもの作っているの」「これぐらいだったらうちの大学入れるよ」、僕は「いやあそんなこと、考えてもなかったよ」と。その場で「できる、できる」みたいになって「願書書いてあげるから」と言って、その2人でバーッと書いた。青山君は本当に恩人です。

Q :それは旅行中にですか。

鈴木:そう、旅行中。信じられないでしょう。……日本に帰る間際に、ビクトリア駅のポストにスポッと、後で推薦文は送りますと書いて、入れて帰ったんです。1月の下旬に日本に帰って、また現実に戻ってしまった。そしたらGoldsmithsから返事が来て、MAは入れないけれども、postgraduateのCertificateなら入れますよという連絡をもらった。
 それで、2月か3月ぐらいにコタツに入りながら、「お父さん、話があるんだけど、実はこの前、ロンドン行ったときにある大学に行って願書を出して来たら返事がきちゃったんだよ」と父親に言いました。うちの父は勉学に関してすごく真面目なんですよ。

Q :技術系なんですよね。

鈴木:エンジニア。堅ブツというぐらい大真面目。それで、「勉強するなら金出してやる」と。父は若かった頃希望するように勉強ができず苦労したそうなので、子どもには勉強させてやるからみたいなところがありました。「家のローンが払い終わってないけど、1年間だけ行ってみろ」、と。
 
イギリスに残った理由

鈴木:Goldsmithsを2000年に卒業しました。イギリスに来たのが1998年だったから、99年ぐらいに自分の作品が、あるアメリカのコレクターに売れて、それからバーッと火がついたようにギャラリーが見せてくれとか、リプレゼントさせてくれというのが何件かあって、そうしているうちに卒業になった。親に「1年間だけ行かして」「お金助けてくれよ」、「わかった」という感じだったので、それまでロンドンに残ろうなんて考えていないじゃないですか。2年目で「チャンスが生まれちゃったからもうちょっといようと思うんだけど」となった。

Q :そのきっかけというのは、大学の展示会ですか?

鈴木:ディグリーショー。たまたま僕の場合は運が良くて、自分のチューターが、Paul Morrisonという有名なペインターなんですけれども、アイデアをくれて、「こうした方がいいんじゃない」「どういう作品を作ったほうがいい」というようなディスカッションがありました。僕の作品を見ていたら、「これはいい」みたいな感じになりました。アメリカのルベル・ファミリーと言うんですけど、アメリカで最大級のコレクターでした。
 後は、当時一緒に働いていたドイツのギャラリストが大学内の自分のスタジオにいきなり来て、今のような彫刻を2、3点作ったんですね。3、4点かな。で、スタジオに置いてたら、恰幅の良い夫妻が来て、指をバーッと、もう本当何が起こったのかわからない。そしたら全部買っていくみたいになって、「ええ」っと。
 そのコンテンポラリーの、サーチがどうとか、そういうのは知っていたけど、実際の中の仕組みに入ったことはなかったので、初めてそれだけ買ってもらったことがショックでした。

Q :こっちに来てがむしゃらに残ろうというよりは、やってたいら有名コレクターに買われてしまった。

鈴木:「残ってくれ」と言われたので残りました。そこは周りの人とちょっと違ったかもしれない。「残りたい、残りたい」と言っても結局チャンスがなく帰って行った友だちも何人かいました。僕の場合は、「帰らないで」と言われてここ10年間ズルズルいてしまったんですけどね。
 
欧米のアート界と「日本人らしさ」

鈴木:どこで勝負するかというのはやっぱりあるわけです。日本人として自分の歴史をちゃんと説明するのか。僕だったら木彫の道具を見せたりすると、びっくりするし、クオリティで勝負しなきゃいけないとか、いろいろあると思うんです。言葉で対等にこっちの人と戦えるかと言ったら、次元の高いコンセプチュアルアートになったときには、自分には完璧に無理なわけです。
 こっちで生まれ育ったならわかるけど、日本からいきなり来て、コンセプチュアルアート見せて、彼らの歴史とその思考体系の中に入って行けるかというと、なかなか入って行けない。結局難しいのは、日本の中でも平均的に力があったとして、それはもう日本人の弱点でもあるんですけど、AとBがいて大体同じぐらいの力があって、だけどAの方がちょっと英語がしゃべれて「僕やりたい」と英語で言ったら、Aの方がチャンスはもらえるかもしれない。

Sam © Scai the Bathhouse

Sam © Scai the Bathhouse

Q :海外で日本人が作品を作るときに、戦略的に日本人であることをすごく考えてプレゼンする方と、戦略的に考えないでする方と両方いるかと思うのですが。

鈴木:それが一番のポイントだと思う。実は海外で成功している人は意外と単純、と言っても単純さが大事。日本が一番陥りやすいのは、海外のものを何でも受け入れてしまって、それを日本のマイルドなテイストにしてしまうこと。それを日本人が見てあっ、これが格好いいのかなと思っても、それは海外の人から見たらそんなん俺たちの真似じゃないかというわけです。イギリス人から見たら、お前ら自分たちの特徴生かせよってなる。それだけの話で、日本だけで活躍したいなら別にそれでいいと思うんですが。
 ……僕だってGoldsmiths入ったら、チャップマンとかデミアン・ハーストになりたかった。だけど、Paul Morrisにそれだけはやめろって言われたんです。「お前は今までやってきたことでいいから」と言われて。「そっちの方が新しくなるよ」と言われて、その通りだった。だから、チャップマンのまねとかさ、デミアンのまねみたいなことをしても駄目。僕はそれが一番ラッキーだと思う。Goldsmiths一番最前線のところにいたから。そういうことをしても、「デミアンの世代がやっていることは俺たちがやっても駄目だぜ」って、何がクールなのか、感覚的にはCDよりもレコードジャケットの方が好きみたいな、そういう感じで。
 どうやって面白くみせるかという話で結局、日本人に無理なことをやっても駄目だと思います。断定はできないけれど日本人らしいことをやる方が、海外では生きて行きやすいかもしれない。もう一度自分の作品を直視して、コンテンポラリーの中でどういうふうな作品を作ったらいいかというところがスタートポイントで、そこまで日本人はなかなか達しない。全員が全員じゃないけど、これだけ欧米と日本との距離が離れているとなかなか難しいんですね。

 
彫刻作品の創作について

鈴木:僕はもともと彫刻だから、ファッションとか服とかにもともと興味なかったけど、彫刻の歴史とかを見ると、服装にこだわっている彫刻がないと思ったのが始めです。自分たちの世代にはナイキのエアマックス狩りとかがあった。ナイキがヒット商品作って、いろんな種類で作ったのは、多分僕たちの頃。ああいうのがウワーって、みんな違うけどみんな一緒みたいな。格好良いものを作れればいいと、いろいろリサーチしたら案外そういう事をやっている人が少なかった。僕たちの世代にはそういった考え方が慢延してるけど、実際彫刻でやっていくって人は少なくて、それをいろいろ比較して、調べた結果、ちゃんとロゴ書いちゃおうと思いました。
 たとえば平櫛田中なんて、歌舞伎のをちゃんと描いているからかなり正確だけど、実際のロゴとかはない。カーハートとか、そういうのを靴に彫ったりしたわけです。古く見えるのを覚悟で、今格好良ければいい、と。そうしたら、意外とそれをやっている人が少なかったのと、技術的にできたというのがあった。木彫りで彫る作業で、刻み込む、書き込んでいく、記述する作業をやっている人が案外いなかった。それで、こっちで珍しがられました。日本人から見たらどうってことないかもしれないけど、プリントTシャツとか着せたり、流行りの靴とか履かせたり、そのへんは色々考えて。彫刻家ってロマンティスト過ぎではないか、永遠を求め過ぎではないか、と。でも根っこでは永遠をもとめているんですけど。(笑)

Q :いろんな人種の人とか、男性も女性もいろんな年齢の人とかも作っていて、どういうふうにして次に作るものを決めますか。

鈴木:前は自分で探してたけど、最近はちょっとおしゃれな、ファッション系の友達に誰かいいモデルいないとか聞きます。一緒にモデル探しに行ったりとか。あの人クールなんじゃないのとか。

Q :想像して作っているというよりは。

鈴木:全部ほぼ本物どおり、モデルはいます。服とかちょこっと変えちゃったりしますけど。それがもうモデルが全部いて、紙上でモデルの写真をプリントアウトして、輪郭カットアウトして。ふつうはデッサンして、マケット作って、それ見ながらやってくうちに形がこう何か抽象化されていくわけです。僕はモデルのシルエットを大事にしてリアルに作ることにして、なるべく自分のの癖まで出ないように、モデルの特徴を捉えることをこころがけて、膝小僧の曲がり方がこうとか。やっぱりそれはGoldsmithsのコンセプチュアルな影響があったと思います。でも実際眼だけで見て作るというのは難しい。シルエットを重視してしまえばいいんじゃないかと思います。これで作品を特徴づける。だってこれは輪郭から出たらだいたい人の感じ出ちゃうじゃないかと。そこから彫り込む技術は造形大でやっていました。

Q :一度に何体やっているんですか。

鈴木:1年に4,5体です。モデルのスケジュールがまちまちだから、モデルが急に約束を忘れていたり、来ると言って急にバタバタと来たり。そのまま気長に待ちます、来ると信じて。

Q :モデルさんはどれくらいの時間スタジオにいる必要がありますか?

鈴木:結構長くて、15回から、15-16回、20回くらい来ます。1回に1時間半とか2時間くらい作らせてもらって。

Q :同じ服着てもらうわけですよね。

鈴木:いつも着てたら洗わなきゃいけないときもあるから、たまに同じの着て。

Q :日本の木彫の伝統の上に、モデルはこっちのリアルな人を作っている。

鈴木:そのコアなマテリアルで伝統的な木彫を使って、表面で現代性を求めてっていうことなんです。

Q :日本の木彫の伝統の上に乗っているということで、こっちの人から見たら、日本らしさがあると言われるんですか。

鈴木:そうだと思います。こっちにはウッドカービングがある、どこでもウッドカービングあるというんだけれども、道具を見せると、後は緻密さも含めて、日本人ぽいと思うんじゃないでしょうか。あと、こっちは根付とか大好きだから。あれは日本にほとんどない。イギリス人が根付を好きで、日本が江戸時代に全部輸出した。ああいうのがジャパニーズウッドカービングだと思っていますね、仏像とか。
 ……たぶんその大きさも含めて、自分の作品を大きくすることに意味をあまり感じていません。日本人=ちっちゃいやつを作るのが得意とか、思い込みもあるのかもしれないけれど、それとは別にこの大きさで十分、空間に耐えられるオブジェクトを作ろうとしています。

Q :その小さいところが何か日本ぽいと。

鈴木:あると思います。あんまデカく作ったらこっちの人にもできるし、たぶんこの辺くらいになってくると、こっちの人が作りづらいと思うのでは。それは道具から、量がやっぱり違ってくるわけでしょう。そういうので、日本っぽいと思うんじゃないでしょうか。その精密さみたいなところ、日本人が求めてきたところだから、そういうのだと思います。そういうのは、実際の根付とかやっぱよく観察してないといけない。昔の日本人こんなのを作っていたんだとか、そういうエッセンスもちょっと入れます。だけれども日本の文化に固執しないよう、ユニバーサルなアイディアを常に求めています。
 
人種・階級の境界を超えるには

Q :ロンドンでアーティストとしてやっていて、日本人であることはメリットになったりデメリットになったりしますか。

鈴木:たまに日本から鈴木宏昌という旧友の創作和食料理人をロンドンに呼んで、ホームパーティーやったりすると、皆さん喜んでくれます。俺には料理班がついていると。(笑)とりあえず食べ物から。「日本食、食べなよ」って。ヘルシーだし。そういうのはありますね。

Q :イギリスで、日本人であることで差別的な経験をされたことはありますか。

鈴木:移住者なのでしかたないけど、それでも受け入れられているほうだと思います。

Q :イギリス人じゃないということで。

鈴木:みんな大変だっただろうなと思います。パーティーに行っても、ヨーロッパ系の人たちを中心に固まってしまうから。まだまだフロンティアですよ。

Q :たしかに、多民族社会では同じような文化を持つ人々で固まりがちですね。

鈴木:そこで話が進んだりして、どうしようどうしようと思うことありますよね。けど、それでも実力勝負でしょう。いろいろそういうのはあるんだけど、実力だけはちゃんと評価してくれるから、その点では、他の日本人、語学学校通って英語だけ勉強する人たちに比べたりしたら、悩みは少なかったかもしれない。

Q :アーティスト同士というのは比較的、その他の分野の人たちよりも、人種の違いとか、国の違いに対して寛容ですか。

鈴木:他の分野がよくわからないので、一言でいうのは難しいところはあります。でも日本と比較すると間口が広いし、さまざまな価値観や物の考え方が交錯しているので寛容な方だと思います。

Q :そうですか、アート界は裕福な欧米人が中心の世界だと言われていますが。

鈴木:実際、彼らがアートを育てている。その世界の中に入っていくのは大変です。だってファッションとか音楽というのは単純に聞いていいと思えば売れるでしょう。アートははその辺理解してくれる人が少ないので、彼らには感謝している部分も大きいです。基本的には、イギリス国内ではイギリス人の作家使いたいんじゃないでしょうか。そこを自分はよその国から来て、その社会のなかでなんとかポジションを探っていかなきゃいけないんですね。

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