インタビュー 安積伸(デザイナー) #London

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安積伸さん プロフィール
1965 年神戸生まれ。 京都市立芸術大学卒業。㈱ NEC デザインセンター勤務を経て、渡英。1994 年 Royal College of Art修士課程修了。FX 国際インテリアデザイン賞「プロダクトオブザイヤー」など国内外で多数の賞を受賞。ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(英)パーマネントコレクション他海外の美術館に作品が収蔵されている。大阪芸術大学、神戸芸術工科大学客員教授。詳細はデザイナーHPへ www.astudio.biz
 
(2009年11月、ロンドンにてインタビュー)
 
大学から渡英まで

安積:京都市立芸術大学の卒業制作では、新幹線の中のワゴンのシステムみたいなものを作りました。いっぱい物を積んでいるものを効率よく収納して、もう少し格好よく売り子さんが仕事できるように、そういうものを制作しました。当時は私自身とてもポストモダニズムの影響が大きく、世間的にキッチュとされるものをとり上げて洗練させよう、というような考え方に対する興味がすごくありました。今もそれはあります。

PC Engine Duo © NEC Design Centre

PC Engine Duo © NEC Design Centre

Q:その後就職してNECに入社されました。具体的にはどのようなものをデザインされましたか。

安積:NECで当時、一番仕事したと感じたもの、いろいろと賞をもらったものは「PCエンジン」というゲーム機です。当時ゲーム機業界は、NECとセガと任天堂という3本柱でした。PCエンジンDuoという機種をデザインしました。当時25歳でした。

Q:NECで3年働いてから渡英するのですが、ロンドンに来るきっかけは?

安積:ロンドンに来たのは、RCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)で勉強したいという気持ちがずっとあったからです。私が大学3年生になって専門に分かれたばかりの頃、RCAの卒業制作展が京都に巡回でやってきました。それを見て、とにかくショックを受けました。全然内容は理解できなかったのですが、非常に魅力的な卒業制作展でした。深い哲学的なものを感じました。当時大学でやっているレベルとは全然違う仕事がここにはある、もっと知りたいと思いました。

 それで、RCAの大学院で改めて勉強したいとずっと思っていました。しかしプロダクトデザインというのはやはり実学ですから、世の中がどういうシステムで、実際の仕事はどう回っているのか、プロフェッショナルの人たちはどうやっているのかを知る必要あると思いました。それは絶対学校では学ぶことはできない。そのためにはどこか会社入って勉強するしかないと考えて、NECに入りました。

Q:ある程度学んで、3年ぐらいたったらRCAに行こうかと考えていたのですか。

安積:なんとなくは、ありました。ただ、インハウスデザイナーの生活は、それはそれで面白く学ぶことも多いので、もし気に入ったらずっと居てもいいとも思っていました。かたくなに3年たったらやめる、とは思っていませんでした。やはり結果が出るまで2年、3年かかりますから。最初の1年半ぐらいは勉強させてもらうばかりで、会社の何の役にも立てていなかったと思います。今にして思うと本当によく勉強させてくれたと感謝しています。

Q:いつ頃から渡英の準備を始めましたか。

安積:英語会話学校には入社2年目から通っていました。1年目は英会話学校こそ通っていませんでしたが、朝のラジオ英会話番組を録音して通勤中に聞いていました。ただし、英語は今でも苦労しています。
 

ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で学ぶ

Q:RCAの授業はどうでしたか。

安積:大変でした。英語も難しかった。先生がアルゼンチン出身のデザイナーで、彼の使う英語も特殊な英語でしたし、クラスメートも大半は外国人でした。あそこで通じていた英語はインターナショナルイングリッシュのような英語で、今にして思うと純粋な英国英語ではなかったかもしれません。逆にコミュニケーションしやすかったかもしれないですね。ドイツ人やイタリア人の方が、日本人にはコミュニケーションしやすかったりして。やはり英国人だと英語の語彙が豊富なので、微妙な言い回しでいろいろジョーク言ってきて、よくわからなかったりします。英語圏以外の人間の方がコミュニケーションという意味では楽でした。

Q:RCAで在籍していた学科の正式名は何ですか。

安積:私が在籍したのはインダストリアルデザイン科でした。当時インダストリアルデザイン科と家具科が分かれてあり、今はそれがデザインプロダクトというひとつの科になっていると思います。当時同学年のクラスメートは12人程度だったと記憶しています。インダストリアルデザイン科というのはいわゆるハードコアなプロダクトデザイン畑の人たちが集まってくる科というイメージでした。RCAには、また別にインダストリアルデザインエンジニアリングという科があります。それは主に理系のエンジニアリング系の人たちが集まっている科です。

Q:日本の大学と、RCAの授業の内容は違いましたか。

安積:求められるオリジナリティのレベルが全然違いました。そのときにセットした自分の中のハードルが今でも1つの尺度になっています。インターナショナルにデザイナーとして生き残っていきたかったら、オリジナリティを持ち、デザインの歴史も知らなければならない。今までいろんな人がいろんなことを考えているわけですから、そういう人たちと対峙して、乗り越えられるほどのオリジナリティを持たなければいけない。だから、どこかで見たことあるようなものはどんどんはじかれる。「これは19〇〇年に誰がやったのを見たことある」みたいにペラペラと英語で。自分がクリエイティブでオリジナルだと思っていた部分が、どんどん引きはがされているような過程で、私にとっては本当に修行でした。本当に厳しかったですが、今考えるとすごくいい先生だったと思います。

 
卒業後の試練

Q:卒業後、日本に帰るという選択はなかったのですか。

安積:なくはなかったです。卒業はしたものの、どうするかみたいなところで、このままプロとしてやっていくのにはどうしたらいいのだろうと、本当にはたと困ってしまって。……そのときは色んな事をやりました。できることは全てやろうと思いました。

Q:具体的にはどのようなことをしたのですか。

安積:ロンドンにペンタグラムというデザインスタジオがあるのですが、プロジェクト単位で雇われたりしました。半年ぐらい行っていたでしょうか。Kenneth Grangeというデザイナーで、モダニズム世代の人がいます。70年代にコダックのインスタントカメラなどのデザインをされた方で、英国のインダストリアルデザインの草分けです。そのKenneth Grangeさんの下で働くことができて、彼の物の見方、仕事の進め方、クライアントの接し方とか、全てが勉強になりました。

Q:そこで働かせてもらうのは難しくないのですか。

安積:難しかったと思います。その前に、私は何でも経験ということで、デザインミュージアムでコーディネートのプロジェクトに雇われていました。そのときに、Kenneth Grangeさんと知り合いました。コーディネータとして働いて思ったのは、私はデザイナーの方がいいなということでした。コーディネートする側よりもデザインする側の方が楽しいと、強く思いました。

 あとは、雑誌に記事を書いたり。英国にいる好きなデザイナー、たとえばジャスパー・モリソンさんなど、デザイナーにインタビューする仕事をしました。当時まだ日本でほとんど紹介されていなかったけれどヨーロッパで熱く注目されている人たちにインタビューに行き、日本語でまとめる事を3~4年やっていました。

Q:そういうアルバイトをしながら自分の制作も同時にやっていて、とても忙しかったのではないですか。

安積:忙しいというか、モチベーションが高くないとできないことですね。でも、NECやめて大学院を出たものの定職にもつかず、日本にいてサラリーマンをしていたらどれだけお金儲かっていたんだろうかとか考えて、人生誤ってしまったんじゃないかと思うこともありました。焦燥感も相当にありました。

Q:当時30歳ぐらいですか。

安積:そうです。ちょうど30歳ぐらいです。まだまだ自分も勉強不足だと思っていましたし、それでも何か糸口を見つけなければいけない。自分が本当に何をやりたいのか、どういう方向に進みたいのかという事もまだまだはっきり見えてきていなかったので。特にこれといった仕事があるわけでなく、絶望的な気持ちになりました。人生終わったかな、とも思った瞬間でした。

 

展示会での出会い

Q:でも、3、4年後にすごい道がぱあっと開けたのですよね。そのきっかけは何だったのでしょうか。

安積:やはりロンドンの見本市100%Designが大きかったと思います。当時、若手をフィーチャーする展示会はほとんどありませんでした。100%Designがヨーロッパでも唯一ぐらいでした。そろそろDroog Designというオランダのグループが固まりかけていましたが、基本はみな単独で行動しているような時代でした。ミラノでも若手が作品を発表するような場所はすごく限られていて、ドイツも同様でした。日本も同じような感じで、大企業文化みたいなものがデザインを握っているような印象を持ちました。インディーズの若造が活躍する場所は全くありませんでした。そんなときに、100%Designというイベントがロンドンにできたんです。当時も、レベルはそんなに高くはなかったと思いますが、若手が発表できる世界で唯一の場でした。

Funnel Top pepper mill © Shin Azumi

Funnel Top Pepper Mill © Julian Hawkins

Q:誰でも参加できたのですか。

安積:いえ、審査はあります。基本的には見本市です。最初のレベルはフリマみたいなものでした。大きな会社も展示していましたが、若手のデザイナーが出してもOKで。メディアが比較的沢山やってきました。100%Designも始まったばっかりだったので、メディアをとにかく呼ぼうということで、かなり一生懸命頑張っていました。私も日本のメディアを呼ぶお手伝いをしました。英国はメディアの発信力がとても強い国だと思います。質はともかくメディアの波及効果はすごいと思いました。今まで若手の新鮮なデザインに餓えていたということもあるのでしょうか。
 
 それでメディアにいっぱい取り上げていただいて、いろんな展覧会に誘われるようになって。 ……1回目の展示ではペッパーミルの類を出しました。3回目の展示をドイツの AUTHENTICSというブランドのアートディレクター兼社長がたまたま見に来ました。その当時、AUTHENTICS は若手デザイナーにとって非常に重要なブランドで、若手のデザイナーの登竜門みたいな感じでした。若手で優秀なデザイナーはみんなそこに参画しているというようなイメージが私の中でずっとありました。そこのディレクターが100%Designを見に来て、しばらくじっと私のソルトシェーカーの作品を見て声をかけてくれて。ああやった、という感じでした。そのブランドの関係でいろんなデザイナーと知り合いました。私がリスペクトする同世代のデザイナーたちがたくさん集まってきていた場所でしたので、そこで知り合うことができた。初めてヨーロピアン・デザイナーのソサエティに入った事を実感した出来事です。

Q:自分でアプローチしたというよりは、作品を通して評価された。

Snowman salt & pepper © Shin Azumi

Snowman Salt & Pepper © Robert Walker

安積:そうですね。アプローチという意味では、100%Designに出したということですね。その時発表したソルトシェーカーなど一連のテーブルウェアには、実は長い開発ストーリーがあります。延々と続く自分のリサーチアンドデベロップメントがあるのですが、その中で生まれてきたものです。インタラクションというのがテーマでした。
 
 当時、若いデザイナーとして新しい価値観を世に問わなければいけない、という脅迫観念が自分の中にすごくありました。動きとか、物理的でないものがすごく魅力的だと思っていたんです。デザインというのは色や形、素材感、機能性などで語られますが、それ以外はあまり語られてないと思っていました。物理的な部分以外の何かをデザインの中に取り込むことはできるんだろうかと考えました。それで、よいマナーを自然と導くデザインとか、使うことに充足感を与える非物質的な要素がとても重要だと思いました。
 
 ……このソルトシェーカーは非常に抽象的な造形ですが、穴の位置を三角形にすると目・口に見えて、人間の認知能力が強引にマンガ的な記号に置き換えてしまいます。これは今でも売られています。100%Design参加の最後の年にリリースして、ずいぶん反応が来ました。パリのコレットなど、いいお店でもたくさん並べてもらいました。

 

デザインとオリジナリティ

Q:その後、2000年にLEMスツールで賞を獲得されました。

安積:当時、デザインをするならば、まだ成されていないことをやらなければならない、という強迫観念を持っていました。対して、家具はすごく歴史のあるもので、ほとんどのことがやりつくされているようにも感じました。世の中的にも、フリッツ・ハンセンのセブンチェアに匹敵するようなものがなかなか出てこない。そういう考え方は自分をどんどん難しい方向に追い込んでしまいます。モチベーションも高まりにくい。もう世の中すべてフリッツ・ハンセンのセブンチェアでいいじゃないか、と思ったりしました。

 家具デザインでも新しいエリアを何か自分で開拓したいという気持ちを強く持っていました。結果としてものすごく地味で、その差異はわからないかもしれない。それはもう完全に自己満足かもしれないんですけれど、自分で納得したかった。今にして考えれば、家具のデザインの中でも深く追求されていないエリアや隙間は沢山あると思いますが。

 ……Lapalmaというクライアントから、「バースツール」というデザインのテーマを受けた1999年当時、世の中に良いバースツールというのがとても少ないことに気がつきました。これなら何かできると思いました。フリッツ・ハンセンのセブンチェアに匹敵するようなバースツールは存在していないと思ったんですね。

 当時、椅子をデザインするのにモチベーションを自分の中で相当に高めないとできないところがありました。良い椅子は既に沢山あるのに、なぜまだ新しい椅子をしなければいけないのだろう、と。当時はまだ駆け出しのころで、椅子デザインの襞までわかっていせんでしたので、ざっくりした目で見るとそういう印象を持っていました。でもそのなかでも比較的わかりやすい例としてバースツールは本当に、深く掘り下げられていないエリアでした。調べると3つぐらいの原型しかなく、これは何かできそうな感じがすると思いました。
 
 座り心地が最も重要なポイントです。快適性を視覚的に表現するとこうなる、というデザインです。このデザインを世に出した後に改めて認識したのは、プロダクトのデザインは受け入れ手さえあれば、世界中どこへでも行けるということ。自分がよいと思った感覚を世界中のお客さんに生身のコミュニケーションを通して共感してもらえることは、やはりデザイナーの大きな喜びです。それを感じてもらえるメディアであるプロダクトデザインというのは、すごく強い力を持っていると改めて思いました。

 
「日本人らしさ」について

Q:ロンドンのヴィクトリア&アルバートミュージアムに入っている茶器「Yauatcha Tea Set」はどのように考えて作りましたか。

安積:このプロジェクトでは、日本の本格的な茶器をデザインしてくださいと依頼されました。デザインだけではなく、製造のアレンジもお願いしますということでした。素材は何を使ってもよいので、プロダクションの面倒までみて下さいと依頼されました。作ってくれる会社も探してきて、そこに発注をかけたら作れるような態勢まで持っていきたい。そういうコーディネートも全部込みでデザインしてください、ということでした。日本人のデザイナーに日本の茶器をデザインしてもらう。奇抜な茶器ではなくて、典型的な日本の茶器であってほしい。けれども同時に安積伸としての個性のあるもの、またクライアントのレストランYauatchaのコンテクストに合うようなものを作ってくれと言われました。

 実は日本文化に真っ向から向き合うのは初めてか2回目くらいでした。しかしこのプロジェクトは日本の茶器ですからね。ストレートに日本的なものというのはどちらかというと避けているテーマでした。

Yauatcha Tea Set @ Shin Azumi

Yauatcha Tea Set @ Akio

Q:それはどうしてですか。

安積:あざとくなるのが嫌なんです。外国人に対してチープな日本の土産物をデザインするようなことは避けようと思っています。たとえば、英国は過去に植民地を国外に作ってきたという歴史があるためか、異国の文化にとても寛容であるように思います。外国のものイコールよいもの、外国の文化は尊重しなければいけない。そういう暗黙の了解みたいなのがあるようにも感じます。異文化だから珍しい素晴らしいとオーディエンスは反応してしまいがちなんです。そういう反応に甘んじてしまうと、深い部分での理解が得られないのではないかという危機感を持ちます。なので、表層的な部分でひっかからないように、もう少し深い部分で人と関わりたいと思っています。というわけで、なるだけ表層的な日本文化みたいなのを前に出すことはやめようと自戒しています。自分にとっては禁じ手だと基本的には思っています。禁じていてもやはり絶対、にじみ出てくるものなので。にじみ出てくる程度でいいと思っています。

Q:にじみ出てくるとは、具体的にはどういうふうなことでしょうか。

安積:やはり線の整理の仕方とか。造形的な感覚とかには絶対出てくると思います。

Q:そういうふうに言われたりすることもありますか。

安積:あります。LEMスツールも時々、ジャパニーズなザインと言われます。でもこれはジャパニーズと言われたらジャパニーズですが、スカンジナビア家具の影響も大きく受けていると思います。またイタリアの技術があるからこそ実現可能なデザインで、イタリアのブランド力や販売力があってはじめて世に定着させることが出来たものです。なので、何でも言う人は言いますので、あまり気にはしないようにしています。

 しかし、複雑なことを整理して見せるのが好きというようなことはやはり日本人的なのかもしれません。あまり言いたくないですが、鈴木大拙さんの本を読んでいると、禅的な姿勢ともつながるのかな、とも感じます。しかし思想に縛られすぎると表現として不自由になりそうなので、あくまで姿勢として、何となくそういうのはあるのかな、と意識するレベルにとどめています。

Q:椅子やテーブル、食器とかを作るときに、日本的なものをクライアントが要求することはありますか。

安積:表層的な日本趣味を要求されることはまずありません。私がやっていることはみんな大体わかっていますので。そうは言っても、異文化のクライアントからすると随分日本人的なものに見えるかもしれません。やはりいろんなものの整理の仕方や、造形感覚に日本的なものが出てきているとは思います。重量感のなさとか軽やかさに対する志向みたいなものは私の中にもあると思います。日本建築は軽やかですね。おそらく歴史的には湿度との調和によって培われたものではないかと推測しています。床下から湿度が効率よく抜けるような。
 
 そういう美意識の継承は自分の中のどこかにあると思います。重厚なものはやはり西洋人にはかなわない。重厚なものより軽やかなものに対する志向が自分の中にも脈々とあります。それをヨーロッパでは日本的と受け取っているかもしれない、というのは漠然とは感じています。

Q:それを戦略的に出すことはありますか。

安積:戦略的に出すと、嫌らしくなると思います。日本趣味を逆に封じているというのは、そういうレベルでの仕事をしたくないということなんです。ジャパネスクなものを見せて、「おお、素晴らしい」と言われても、本当かなと疑ってしまいます。それは単純に見栄えが違うから、差異を見て喜んでいるんじゃないかと思って。見た目より先に踏み込めないのは残念だなと思う。その裏でどんな素晴らしいことがあるかもしれないのに、そこから先に踏み込めないのは、それはやっぱりつまらない。
 

国境を越えるプロダクト・デザイナーとして

Q:1年のうち何度も日本とイギリスを行き来してらっしゃいますが、この先はどちらを拠点にしていきますか。

安積:両方に足かけながらでしょうか。別にイギリスと決まっているわけでもないので、ヨーロッパとアジアの両方に足かけながら仕事したいと思います。なぜイギリスに居るかというと生活しやすいからです。あとは、情報の渦から少し離れているので、自分でじっくりものを考える時間がとれる。そういう地理的な都合でイギリスにいるところはあります。また、デザインだけじゃなく、アートやシアターなど私の好きなものがたくさんあるので過ごしやすい。文化的にすごく魅力的なところです。ただ、基本的には同じようなクオリティの生活が手に入れば別にどこでもいい、生活のしやすいところが一番いいと思います。というのは、私が手がけているデザインは基本、生活がベースなんです。なので、生活のクオリティを保てる所で仕事をしたい。

Q:日本以外だと、ヨーロッパのどこの国からの依頼が多いのですか。

安積:イタリアが多いですね。イタリアに住むのも悪くないのですが、言葉の問題もあるし、イタリアに行くとイタリア社会に入り込みすぎてしまうのではないか、とも思います。ロンドンは交通の便がよくてどこの大都市にも比較的楽に行けますし。クライアントとしては、フランス、イタリア、ドイツ、デンマーク辺りが多いですね。後アメリカも若干あります。でもやはり、日本のクライアントの割合も大きくなってきています。

Q:なぜアーティストやファッションデザイナーと比べて、プロダクト・デザイナーは日本国内にとどまる傾向があるのですか。

安積:なぜでしょうね。やはり日本の方が、仕事の依頼があるからじゃないでしょうか。ただこれから先、自国内のみで活動するプロダクト・デザイナーというのは生きにくくなるだろうなとは思います。プロダクトデザインは産業のあるところに発生します。建築やインテリアデザイン、グラフィックデザインは、現地でローカルの仕事が常に発生する可能性があります。でもインダストリアルデザイン・プロダクトデザインは、基本的にはインダストリーの近くにあるものです。産業の発達している国の方がやはり活発です。

 これから先、中国や韓国、台湾の方が活発になるかもしれません。イタリアも工業国で、フランス・ドイツも工業国。また欧州方面ではトルコなども伸びています。国際競争が活発になってさらに大変になるだろうな、というのは何となく予測しています。だから逆にインターナショナルにやっていかないとまずいんです。インターナショナルな受注に対応できるデザイナーとして。ローカル需要を満たすだけのデザイナーになってしまうと、私みたいなタイプは死滅するかもしれない。納得の出来る仕事をインダストリアルなレベルで継続しようと思うと、ある程度インターナショナルに活動できる体制を作っておかないと、これから先大変だろうなと思います。

Q:海外でデザイナーとして働きたい若者はたくさんいるかと思うのですが、どのようにすれば安積さんのように成功できるのだと思いますか。

安積:自分では成功しているなんて一度も思ったことはありませんよ。いつも崖っぷちです。……私の場合、運やタイミングもあったと思います。ただ、やはりRCAで受けた教育はよかったと思います。この世界で生き抜くにはオリジナリティしか戦える武器はない。そのオリジナリティをどうやって高めるか、という事をこんこんと言われました。オリジナルであれ、と。そうすれば、誰かに必要とされるデザイナーになれる。そういう意識の持ち方はよかったと思います。今も、他の人がやっていない仕事をしている、という気持ちがありますから。

 こういうことをやるのだったらあの人しかできないだろう、そう思ってもらえるような仕事を常にやろうとこころがけ、結果を出そうと思っています。どこかで見たことある、というような仕事はしない方がいい。いつも自分で厳しくハードルを高めてやっていくしかありません。

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