インタビュー 田中崇順 (divka デザイナー)#London #New York

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田中崇順さんプロフィール 前橋出身。ロンドンのCentral Saint Martinsファション科在学中からJohn Galliano、Christian DiorやMiki Fukaiで経験を積む。Student Fashion Award UKでは2004年にファイナリスト、2005年には優勝し、翌年、International Competition “ITS#5″にてファイナリストに選考される。2006 年、同校をファーストクラスで卒業する。帰国後、Yohji Yamamotoを経て、2011年divkaを設立。2015年から東京FWでショーを開催。詳細はブランドHPへ www.divkanet.com

(2014年12月に武蔵小山にてインタビュー)

 

Q:いつ頃からデザイナーになろうと思っていたのですか?

田中:高校生の時からです。特に海外のデザイナーが好きでした。両親は全くファッションとは関係のない仕事でしたが、私は高校生の時から独学で自分で着る服を作っていました。

Q:当時、好きなデザイナーはいましたか。

田中:当時はたくさんいました。Hussein ChalayanとかMcQueenとか、本当にありとあらゆるデザイナー好きでした。

Q:Saint Martinsに行く前はどのような勉強をしていたのですか?

田中:群馬の前橋高校を卒業してから1年ほどアメリカに行きました。ニューヨークに行くか、ロンドンに行くか迷って、ニューヨークのParsonsのサマーコースを受けてみました。英語の勉強をしながら、アートのコースもとりましたが、自分のやりたいこととは違うと感じ、1年ほどしてロンドンに行きました。
<Saint Martinsへの留学>

Q:Saint Martinsのファンデーションやショートコースには入りやすいけれど、正規のコースは難しいという話をよく聞きますが実際はいかがでしょうか。

田中:ファンデーションコースであれば、基本的には誰でも入れます。ファンデーションの1学期目、それはもういろんなことやります。2学期に入るときにクラス分けがあってファッションかアートのどちらかを選ぶのですが、ファッションで有名な学校なので、ファッションを希望する学生が多い。クラス数は限られてるので、そこで落とされる学生もいます。

Q:Saint MartinsはParsonsとは違いましたか?

田中:まったく違いました。どちらがいいかは別として、Saint Martinsは本当にクリエイティブなことしかしない。Parsonsは、立体切断、マーケットのリサーチ、ドローイングなどが1つのコースにある実践的なデザイナーの仕事に基づいた内容でした。Saint Martinsではパターンや縫製の授業が全くなかったので、独学で学びました。徹底的にやったことは、課題、テーマがあって、それについて自分で考察してリサーチして発展させて、どんなコレクションを作れるかという授業です。
2週間から1ヶ月の間に1つの課題があって、最初に集合して先生からテーマが発表されて、解散したら各々で作業をします。まず必ず最初にやるのが、リサーチブックという、スケッチブックにリサーチした資料を貼ったり、コラージュしたり、絵を描いたりしたものを一冊作ることです。自分でテーマを決めて、それに基づいてリサーチをして発展させるというプロセスをすべてその一冊に。リサーチブックのやり方は人それぞれです。

Q:Saint Martinsでは何年間学ばれたのですか?

田中:全部で5年です。ファンデーションコース1年、BAが3年、学校には行かないで外で働いてこいという期間が1年です。Saint Martinsのクラスメイトはアジアやヨーロッパなどいろいろなところから来ていました。仲のいい友だちもいましたが、どちらかというとコンペティティブな雰囲気でした。

Q:働いていた1年間は具体的にどんなお仕事をされていたのですか?

田中:大体3ヶ月交代でいくつかの仕事をしました。先生から勧められることはあっても学校の斡旋はあまりなく、自分たちでCVやポートフォリオを送ってインターン先を探します。
Gallianoでもインターンをしました。デザインチームには複数のインターンがいて、テーマに基づいてプリントのデザインをしたり、立体で形を作ったりと、テーマをもとに何かしら形にするという仕事をしていました。たとえば、自分が刺繍の絵を描いたときにトレンチコートの袖に採用されたりもしました。インターン同士コンペティティブな雰囲気で、勉強になりました。

2016SS runway ©︎divka

2016SS runway ©︎divka

<divka 設立>

Q:卒業後は、どちらでお仕事をされたのですか?

田中:卒業後すぐ、Yohji Yamamotoに入りました。Yohjiがとても好きで、どうしても入りたかった。

Q:パリで働きたいという気持ちはなかったですか?

田中:パリはいいところですし、パリ行きを望むことは、ファッションをやっていると自然なことだと思います。ただ、自分でやるようになってからは特に、海外でやることは難しいと思います。服作りは才能だけではできない。実際に服を売って生産しなければならないので、まずかなり英語が話せないといけません。あと、コネクションも必要です。例えば、現地で縫製工場を探すこと、生地の調達などは日本の方がやりやすいですし、海外の工賃、例えばイギリスやフランスと比べれば日本のほうが安い。よほどタフじゃないと海外で始めることはできても、成功するのは難しいと思います。メリットとデメリット、どちらもあると思います。

Q:Yohji Yamamotoには何年いらしたのですか?

田中:2年ほどです。もともと独立したいという思いがありました。Yohjiをやめて、これからどうしようかとなったときに、自分でやりたいという気持ちが強くなって独立を決意しました。Yohjiでは学ぶことは多かったです。日本で起業するにあたって、どういったやり方が良いのかを学べました。

Q:divkaを立ち上げるまではどのように準備をされたのですか?

田中:何から始めたらいいのかもわからず、話は全然前に進まず、バイトをしてとりあえずアトリエだけは借りました。ブランドを始めるにはまずサンプルをたくさん作らなければならないのですが、そのお金すら持っていなかったので、最初はTシャツを手作りで作ってそれを売りました。1年間で7~8種類ほどを50枚ずつ作りました。なかなか売れませんでしたが、売れたお金は手を付けず貯めました。マンゴ・ファッション・アワードというコンペにも応募しました。それに運良く受かって、制作費が200万程度おりたので、それを手元に2011年3月のコレクションのサンプルを作って、それがデビューのきっかけになりました。その時は、装苑のWHITEという合同展示会にも出ました。

Q:いくつもの賞を獲得されていますね。

田中:私たちが続けてこられたのは、新人デザイナーファッション大賞に応募して、都知事賞というものをいただいて3年間の支援を受けられたからです。例えば、ある目標があってパリで展示会を出したいという依頼書を出すと、全額は出ませんがある程度の支援をしてもらえる仕組みです。Tranoi Femmeは、JETROと都知事賞の支援の両方を受けて行きました。

Q:ブランドを立ち上げて、すぐにパリなど海外の展示会に出るというのは留学の経験があったからですか?

田中:それはあります。あと、世界で売っていきたいという思いもありました。私たちの服は百貨店や大手のセレクトショップには合わず、誰でも気に入って簡単に着られる服でないことは分かっていました。100人に1人、気に入って買ってくれればいいなという思いで自分たちの作りたいものを作っています。日本国内だけでは、最初は売り上げが伸びても必ず止まる。日本の狭いマーケットだけでは、厳しいと思います。

<東京から世界へ>

Q:日本のブランドを海外に持っていくとき、現地のマーケットやテイストの違いは意識していますか?

田中:とくに意識はしていませんが、例えばパリと日本では、着丈や袖の長さが全然違います。日本の服をそのまま持っていっても売れません。私たちの場合は最初から海外に行っているので、丈も海外サイズです。ただ、鞄やアクセサリーなどの、サイズのあまり関係のない小物類なら、日本独特のものを入れやすいかと思います。

Q:デザインをするときに、一番重視することは何ですか?

田中:立体で作ること。人が袖を通して着て鏡の前に立ったときに、何かきれいだね、という驚きがあるように。立体で作るというのは着ているときを想定して作るということです。日本と海外のお客さまの両方を想定して作っているので、どちらか向けというのは作っていません。デザイン的な面では、海外で売れるものと、日本で売れるものは違います。海外に向けてデザインすると、日本では受け入れられにくくなるかもしれません。海外だとわざわざ日本のブランドを輸入して買うわけですから、デザイン性の高い服、divkaらしい服のほうが好まれますね。

Q:海外で売るときに、ヨーロッパにはない「日本らしさ」というのは要求されますか?

田中:それはすごく難しいことだと思います。いまの「日本らしさ」を作っているものとして、最初に出てくるのはおそらくアニメや原宿のファッションだと思いますが、それをデザイナーが取り入れてやるというのは、違うと思います。

Q:将来の目標を教えてください。

田中:いま、時代の雰囲気が現実的になっています。90年代頃、ファッションはもともと夢の世界のような感でしたが、すごく現実的なものになってきています。デザイナー自身もすごく現実的になりやすい。でも私自身は、パリコレに出たいと思っています。将来的には世界中のどの国に行っても私たちの服が置いてあるようになって、着ている人がいることが目標です。

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