「メディアが構築する「欧米」「西洋」イメージと若者の国際移動」

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「メディアが構築する「欧米」「西洋」イメージと若者の国際移動」(2008年)『メディア・コミュニケーション』 No.58

藤田結子

1 はじめに

これまで国際移動研究では、経済移民や「家族呼び寄せ(family reunion)」、外国人労働者(return migrantsやtemporary migrants)や高度専門職に焦点が当てられてきた。また、このような国際移動は、新古典派経済学[1]、世界システム論[2]、移住システム論[3]など、経済的・政治的要因や社会的ネットワークを重視したアプローチによって説明されてきた。しかし最近、これらのアプローチでは十分に説明できない国際移動の形態が観察されている。1990年代以降、芸術や大衆文化に関する活動を行うことを目的に、非常に多くの日本人の若者がニューヨークやロンドンなどの欧米都市に渡っているのである(Favell, 2006; Fujita, 2006)。

この1つのパターンは教育機関を修了した後に帰国するという従来の留学だが、ここで注目すべきはもう1つの新しいパターンである。多数の若者が合法的な滞在手段として英語・専門学校から学生ビザを取得し、実際には通学せずに街中にあるスタジオで絵を描いたり、クラブでダンスや歌を披露したり、美容院や古着屋で働いたりしているのである。この若者の多くは、ビザを更新するたびに、旅行者ビザから英語・専門学校生ビザへ、そしてそのほかのビザへというようにビザの種類を変え、できるだけ長い間現地で暮らそうと試みる。その期間は5年以下が多いが、10年以上滞在する者から永住権を取得する者までとさまざまである。

もちろん、歴史学や文学では、国際移動の文化的側面が指摘されてきた(たとえば、パリに渡るアメリカ人芸術家や、明治時代のエリートの洋行)。しかし重要なことは、過去には比較的少数の芸術家やエリートが行った文化的動機による国際移動が、現在では多数の「中間層」の若者に広がっていることだ。つまり、従来の動機付けや移動パターンとは異なる日本人の若者のケースが現れたのである。これはどのように説明できるのだろうか。

この若者の国際移動には複数の要因を指摘できるが[4]、メディアがとくに重要な要因であると筆者は考える。なぜなら、「近年の電子メディアの世界的普及により、人の国際移動が活発化している」というA. Appadurai(1996=2004)の説が現実のものとなっていると考えられるからである。そこで本稿は、上記の日本人の若者の事例を用いて、この「メディアと移住(media and migration)」の仮説の検証を試みることを目的とする。

 

2 課題と方法

2-1 「メディアと移住(media and migration)」

『さまよえる近代』(1996=2004)の中で、Appaduraiは、電子メディアと国際移動の相乗効果によって「想像力の働き(the work of the imagination)」が大きく変化したと指摘する。もちろん想像力は人間の歴史でとりたてて新しいものではない。昔からカリスマ的な専門家たちは、芸術・神話・儀式などの特別に設けられた表現の空間において想像力を用いてきた。ところが、今日、想像力は新たな役割を果たしている。過去2、30年の間に、映画・テレビ・ビデオ・コンピューターなどの電子メディアが世界中で普及し、複製された映像が日常生活の中をものすごい速さで循環し始めた。この電子メディアの運ぶ映画・ニュース番組・ドキュメンタリーなどの映像が資源となり、想像力は普通の人々の日常的実践となったのだ。自分が生まれた場所以外での生活を容易に想像することが可能になり、この「想像力の働き」が人々の国際移動を活発化させている。アパデュライは言う。

移住したいと願う人、すでに移住をした人、帰国したいと願う人、残ることを決めた人は皆、ラジオ、テレビ、カセット、ビデオ、ニュースのテクスト、電話などの影響の下、決断をする。人々は、やすやすと国境を越えるメディアのイメージに大きく左右されながら、新しい環境への適応方法を考えたり、移住や帰国の決断をしたりしている(Appadurai, 1996=2004:6)。

彼の議論は、象徴的な移住動機を検討するうえでの有益な枠組みを与えてくれる。しかし、国境を超えるメディアに関する議論でしばしば問題となる「欧米化」「同質化」についてはとくに言及していない。むしろ、彼は「世界中の主要都市から影響力を持つ(情報や大衆(ポピュラー)文化(カルチャー)の)勢力がある社会へと流れ込んでいくやいなや、それが多様な方法でローカル化される」と述べ、欧米文化が世界中の文化を同質化するというような考えを否定している。

この「欧米化」「同質化」「ローカル化」という概念は以下のような先行研究の流れにもとづいている。1970年代から80年代にかけて、ユネスコや国際学会で、「情報や大衆文化のフローが欧米諸国から第3世界への一方通行となっている」というフローの構造に関する問題と、「ローカル文化が欧米化・アメリカ化される」というメディア効果に関する問題が盛んに議論されていた。

当時、H. Schillerがメディア帝国主義論を唱道し、第1世界が第3世界を搾取するという世界資本主義システムの政治経済構造がこの不均衡をもたらした原因であると説明した。他方、幾人ものメディア研究者たちが、フローの不均衡は多国籍企業間の自由競争の結果で、必ずしも戦略的な帝国主義や支配‐従属関係の結果ではないと批判した。

そのメディア効果についても、Schillerは「メディアはイデオロギー操作の力を持つ」と主張していた。しかしI. Ang(1985)とE. Katz & T. Liebes (1990) は、世界中で人気を博したアメリカ製ドラマ『ダラス』の受容研究を行い、オーディエンスは自己の文化的バックグラウンドに応じてテクストをある程度能動的に解釈し、イデオロギー操作に対して抵抗力を持つことを示した。さらに、文化人類学者たちも、トリニダードやベリーズなどの中南米諸国で人々がアメリカ製テレビ番組を多様な仕方で解釈している様子を報告した(Miller, 1992; Wilk, 1995)。

この見解の相違を理解するには、S. Hall(1991=1999)の議論が役に立つだろう。彼は、対立する視点が描き出す側面をうまく統合し、以下のように説明している。

第1に、グローバルな大衆文化は依然として欧米に中心がおかれている。つまり、欧米のテクノロジー、欧米社会への資本・技術・先進労働力の集中、そして欧米社会の物語とイメージである。これらがこのグローバルな大衆文化の推進力でありつづけている。……第2に重要な特徴は、特殊な形で同質化である。それは同質化的な文化表現であり、物事の吸収力が非常に強いように見えるが、その同質化は決して完了することはなく、また完全性をめざして働くものでもない。あらゆるところにミニイギリスやミニアメリカを作り出そうとするのではない。本質的にアメリカ的な世界観という、より大きな、包括的な枠組みの内部での差異を認識し吸収しようとする(Hall, 1991=1999:51)。

つまり、情報や大衆文化のグローバルなフローは、アメリカ的なメディアや大衆文化のフォーマットやシステムを普及させるけれども、その内容や価値観には常に差異や多様性が生まれる。ローカル文化は、欧米メディアの影響を受けても、単純な意味で欧米化・同質化されない。メディア効果の問題に関しては、このような見方が、多くの研究者たちの一致した見解だといえるだろう。

単純な意味での欧米化が起こらないのであれば、人々が欧米諸国から送られてくる大量の映像に日常的に接した結果、現地での生活を想像し始め国際移動を行うという現象は、どう解釈すればよいのだろうか。そこで、最近発表された2つの事例研究を見てみたい。これらは、アルバニアとモロッコにおいて、アメリカや西ヨーロッパのテレビ番組やポピュラー音楽の影響の下、非常に多くの若者たちが欧米諸国へ渡って行く様子を報告している。ここでは、電子メディアの役割はどのように説明されているのだろうか。

 

2-2 若者たちの「移住プロジェクト(migration projects)」

しかしこの若者たちは、メディアによって欧米化されたわけではなかった。アルバニアの若者は、イタリアへの移住を望んでいても、家族を中心として自己のアイデンティティを形成していた。モロッコの若者は、欧米文化に憧れる反面、イスラム教徒としてのアイデンティティを維持していた。つまり、メディアは、祖国や自己の存在を欧米に関連づけて再文脈化させ、その結果、国際移動を促進する「触媒(catalyst)」(Mai, 2001)としての役割を果たしていたのだ。

この2つの事例研究の結果から、電子メディアは欧米諸国への国際移動において以下のような役割を果たすと解釈できる。まず、電子メディアは欧米諸国を描く大量の情報・映像を流布させ、各国の中に特定のthe Westのイメージを構築する。潜在的な移住者は、日常的に自己の存在をthe Westのイメージと関連づけて再文脈化し、そこでの新しい生活や新しい自己の姿を想像する。そうして人々はさまざまな動機を見出し、一部の者は「想像の世界(imagined worlds)」で暮らすため「移住プロジェクト」を実行すると考えられる。

以上の議論にもとづき、「メディアと移住(media and migration)」の仮説の検証を試みたい。そのために、「日本人の若者は、電子メディアの影響の下、ニューヨーク/ロンドンへの文化的動機による国際移動を行う」という作業仮説を設定し、事例調査を用いて検証を行うことにする。

 

2-3 調査方法

インフォーマントは、2003年に東京の米国大使館とブリティッシュ・カウンシルに訪れた者のなかから探した。18歳から30歳の若者のうち、文化的活動を目的としてニューヨークまたはロンドンへ行く予定の者で、かつ外国在住経験の無い者に調査協力を依頼し、22人を集めた。文化人類学的手法を用いた調査のサンプルであるためその規模は小さい。

インフォーマントの平均年齢は25歳、女性15人・男性7人である(上記の施設を訪問する若者の大半が女性であったことから女性が多く集まった。実際、法務省出入国管理統計出国者数においても20代の出国者の約7割が女性である)。出身地は首都圏16人・地方6人。このうち10人がニューヨーク、12人がロンドンへ渡る計画を立てていた(以下、NYグループ、LDグループと呼称)。

NYグループのインフォーマントの最終学歴は、高卒5人、短大卒3人、四大卒2人、職業は事務職などの会社員・派遣社員3人、サービス・販売職などのアルバイト6人、学生1人。他方、LDグループのインフォーマントの最終学歴は、高卒4人、短大卒2人、四大卒6人、職業は事務・技術職の会社員4人、団体職員1人、サービス・販売業などのアルバイト4人、学生3人であった。ほぼ全員が、受け入れ国の語学・専門学校や大学を通して合法的に滞在するためのビザを取得していた。また、大半が一定期間通学した後、フルタイムの職をみつけて現地に残って暮らすことを望んでいた。

2003年から2007年にかけて、この22人の若者たちが日本からニューヨーク/ロンドンに移り住む過程を参与観察した。渡米・英前に日本で行った面接調査では、「生い立ち・経歴」「国際移動の目的・手段」「欧米諸国のイメージ」「メディア利用行動」「英語能力」「日本人としてのアイデンティティ」などの項目について質問し、自由に語ってもらった。また、受け入れ国で暮らしている間、各人につき年数回のインタビューを行った。現地での人間関係、生活様式、学校・仕事、日本に対する考えなど数十の項目について質問した。合計100回以上のインタビューの結果をすべて録音し、コーディングして分析した。

 

3 日本の若者の事例研究

3-1 「欧米」「西洋」イメージ

まず、インフォーマントの若者たちが、目的地である欧米諸国に対してどのようなイメージを抱いているのかを検討したい。酒井直樹(1996)によれば、「the West」という概念は、単なる地政的カテゴリーではなく、恣意的に拡大したり移動したりする言説において構成された対象である。また、それは歴史上その場その場で政治・経済的に優位にある地域、共同体、国民と結びついてきた。これは英語で「the West」と表されるが、日本語では「欧米」「西洋」など複数の語が存在する。

そこで、この概念がインフォーマントにとって何を象徴するのかを明らかにするために、「欧米」「西洋」という場所はどこを指すのか尋ねてみた。その結果、「欧米」については「アメリカ」「ヨーロッパ」、「西洋」については「ヨーロッパ」「フランス」という答えが最も多かった。また、「西洋」については「白人がいる国」という意見も聞かれた。

「欧米だとイギリス、アメリカだと思う。たぶん、西洋ってあんまり使わないですよね。ニュースとかだいたい欧米ですよね。そうするとだいたいアメリカなんだけど。西洋っていうのは西洋美術史とか西洋料理とか、トラディショナルな感じ」(久美子、25歳、デザイン事務所勤務)

この話が例示するように、「欧米」は「ナウ」「フレンドリー」「ポピュラー」、「西洋」は「トラディショナル」「歴史」「美術」などのことばで表された。また、「欧米」はメディア、「西洋」は教科書や授業を通して見聞きする機会が多いという意見が聞かれた。明らかに、インフォーマントたちにとって、「欧米」と「西洋」の概念はまったく同じものではなく、2つのthe Westが存在する。しかし、各人が少しずつ異なる「欧米」「西洋」の概念を抱いているので、その境を定義するのは難しい。

この点は、インフォーマントが描いたメンタルマップをみればより明らかになる。筆者はインフォーマントに、1枚の地図を描き地名を書き込むように頼んだ。彼ら彼女らは多種多様な大陸や国境を描いたが、そこにはいくつかのパターンが観察できる。

まず、全員が、日本を地図の中心に据えている。そのうえ、メルカトル図法や正距方位図法を用いた世界地図と比べて、その日本は大きい。この若者の心の中で、日本は世界の中心にある大きな国なのだ。

つぎに、数人の地図上では、一般的な世界地図よりもアメリカが日本に近い位置にある(メンタルマップ1、2、3、4)。ニューヨークへ行く健一のメンタルマップでは、ニューヨークは西海岸側にあり日本に非常に近い(メンタルマップ5)。ほぼ全員が、日常的に最もよく見聞きする外国は「アメリカ」だと語ったが、アメリカは地理的にも近いと感じているようである。

さらに、インフォーマントの関心は、ほかの地域よりも「欧米」「西洋」に集まっている。なぜなら、ほぼ全員の地図に、北米またはアメリカ合衆国、およびヨーロッパが描かれているからだ。その一方で、大半は中東を、4分の1はアジア・アフリカを省いている。

つまり、彼ら彼女らの心の中で「欧米」「西洋」は強調されているが、「第3世界」は忘れられる傾向にある。美穂のメンタルマップは非常に象徴的で、日本はヨーロッパとアメリカに挟まれている(メンタルマップ6)。

メンタルマップ挿入

それにもかかわらず、日本は「西洋」「欧米」に含まれるかと尋ねると、そうだと答える者はいなかった[5]。しかし同時に、大半が「アメリカ」に対する親近感を持ち、「アメリカ」での日常生活は日本での日常生活とほぼ同じだろうと予想していた。そして、NYグループの数人は「アメリカ」には憧れていないけれども、「アメリカ」に住むことには憧れていると語った。他方、LDグループの多くは、ヨーロッパは芸術分野で最も優れていると述べたが、現地での生活については日本での生活とさほど変わらないと予想していた。

先に見たように、アルバニアの若者の場合、「近代的な」ライフスタイルへの憧れが主要な移住動機となっていた。また、モロッコの若者たちにとって、「西洋」は、「進歩」「発展」「優越」「安全」を連想する場所であった。他方、この日本人の若者たちは、「欧米」「西洋」での生活は日本での生活とほぼ「同じ」で、とくに「アメリカ」は最も日本に「近い」国だと感じていた。

そうであれば、彼ら彼女らは、「欧米」「西洋」への移住にどのような意義を見いだしているのだろうか。この点を明らかにするために、以下、各都市のイメージについて、インフォーマントが共通して語った事柄を見ていきたい。

3-2 ニューヨークのイメージ

NYグループのインフォーマントたちはアメリカ大衆文化に大きな関心を持っていた。そして、(1) アメリカのメディア(主に映画、MTV、NHKが放送するテレビドラマ、ウェブサイト)、(2)日本のメディア(主にテレビの情報番組、雑誌)を通して、ニューヨークの情報・映像に接してきた。また2人を除く全員が、ニューヨークへの旅行を経験していた。

「(ニューヨークのイメージは)流行の最先端、危険、自由の国。エキサイティング。……スカパーでいろんなドラマ見てる。『セックス・アンド・ザ・シティ』『ER』。前は地上波で『ビバリーヒルズ(高校・青春白書)』を見ていた。(旅行で訪れたとき)MTVとか見て、黒人が踊ったり歌ったりしている場所に自分が立ってる、それが夢みたいだった」 (真由美、25歳、派遣社員)

「ちょうどSOHOがおしゃれな街で雑誌に出ていて。(ニューヨークは)都会でおしゃれで、っていう感じですか。わりと先入観持たずに行って。5、6年前に、5日くらい。カナダとニューヨークでだいたい10日間くらいで。SOHOとかそのとき行ったんですけど、いい印象ばっかりでしたね。私の場合は単純で、観光で行くといいとこばっかりみえて、住みたいなあとか」(理恵、27歳、会社員事務)

現地を訪れたことがないインフォーマントも、メディアの影響の下、ニューヨークのイメージを語った。

「地球の歩き方。旅行の本。図書館においてあるバスキアとかの本読んで。『バスキア』の映画とか、『タクシー・ドライバー』とかそのへんのイメージがすごく強い。CNNはたまにみます。深夜やってるんで。今の若者が見るような『MEN’S NONO』とかも見る。……(ニューヨークでは)長いコートを着ているっていうか。それで、マックを食って。喫茶店みたいな感覚で、ギャラリーがたくさんあって。あとは、エンパイアステートビル」(大輔、25歳、フリーター)

このように、NYグループの大半は、この街の情報・映像を伝えるアメリカ製ドラマ(例『セックス・アンド・ザ・シティ』)や、ハリウッド映画(例『バスキア』『タクシー・ドライバー』)、日本の雑誌(例『MEN’S NONO』『BRUTUS』『LIURE』)などに10代の頃から接してきた。その結果、「都会」「かっこいい」「きれい」「楽しい」「生き生き」「エキサイティング」というニューヨークのイメージを形成してきた。また、英語で外人とコミュニケーションすることは「かっこいい」と感じていた。そうであれば、この若者たちにとって「アメリカ」は憧れの対象であり、その憧れの地に移り住みたいと願っているように思われる。

しかし、彼ら彼女らの語りをよく聞くと、「アメリカ」への憧れは国際移動の主な動機でない。この若者たちにとって最も重要なのは、ニューヨークは誰にでも「成功」のチャンスがある街だというイメージであり、「自分が(ダンスで)成功するまで、やれるまではニューヨークにいたい」(香織、22歳、ダンス専門学校生)「ロンドンとかパリとかよりもニューヨークのほうが、アメリカンドリームじゃないですか」(健一、25歳、美容師)というように、全員が異口同音にこの点に言及していた。

この「成功」に対する考えは、過去の日系人たちが抱いたアメリカンドリームとは異なる。今田高俊(2000:7)によれば、1980年代以降の日本人は、「having」(職業・収入・教育)だけでなく、「being」(アイデンティティやライフスタイル)にも価値を置くようになった。インフォーマントたちの多くは、高い社会的地位や収入を追求する社会的競争から既に外れており、好きな芸術や大衆文化の分野で活躍すること、「夢」を追うことに価値を見出し、契約社員やフリーターをしながら活動を続けている。しかし、日本でプロのアーティストやダンサーとして生計を立てていくことは難しい。そこで、成功の機会が豊富にあると以前からメディアを通して見聞きしているニューヨークに渡って現状を打破しようと試みる。これが、彼ら彼女らが「アメリカ」自体ではなく、「アメリカに住むこと」に憧れていると言った理由だと考えられる。

さらに特筆すべきことは、ニューヨークに住んだ経験がないにもかかわらず、NYグループの多くが、どこに住み、どんな人たちと付き合い、どこで過ごすかなどを詳細に言い表すことができることである。それは、以下の話が示すように、日本にいる間、ニューヨークを映し出すメディアに頻繁に接触してきたからだろう。

「ニューヨークが舞台の映画を見たり、ガイドブックを見たりして、向こうの生活環境をシュミレーションしたりしてます。こういう街並みで、ここで食事したり、買い物したりとか。でも、あんまりピンと来ていないのが正直なところです。……でも、理想の生活としては、平日学校の授業に専念して、週末は美術館やギャラリーに行ったり、友達とパーティーを開いたりして充実した毎日を過ごしたいなあと思っています」(弘子、26歳、広告会社契約社員)

「想像しますね。楽しい。一番は、怒ってて、笑っててっていうのが一番多い。それは、部屋でルームメートと、ギャラリーのボスと。すごくしゃべってますね。イメージにしている人はたくさんいて、僕の中に登場人物がいて」(大輔、25歳、フリーター)

要するに、彼ら彼女らにとって、ニューヨークへ渡る一番重要な意義は、最も東京に似ていて、しかも東京ではほぼ失った成功のチャンスをもう一度得られる場所で、新しい生活をスタートすることにある。このようなニューヨークのイメージは、主にアメリカ製の映画・テレビ番組、ウェブサイト、国内のテレビ番組などの電子メディア、さらに日本の雑誌に接触することによって形成されていた。その結果、「想像の世界」の一部となりたいと願うようになったのである。

 

3-3  ロンドンのイメージ

LDグループの場合、メディア接触、目的地に対する関心とイメージ形成において、NYグループと異なるパターンがみられた。まず、数人はイギリス文化に興味を持ち、(1)イギリスのメディア(主に映画、NHKが放送するテレビ番組)(2)日本のメディア(主にテレビの情報番組、雑誌)を通して、ロンドンの情報に頻繁に接していた。しかし、ほかの者はそういった興味をほとんど持たず、ロンドンの情報にもあまり接触していなかった。旅行経験に関しては、半数以上が前もってロンドンを訪れていた。

「『ストリートファッション』っていう(日本の)雑誌があるんですけど、(ロンドンには)おしゃれな人が多いのかと思っていたら、(実際に行って見たら)そんなことなかったっていうのが一番衝撃だった。思ったより狭かった。東京ってやっぱり広いから。建物は古いなあっていう感じだったけど、ヨーロッパってそういうイメージだから、びっくりしなかった。……(深夜に放送されていた)『BEAT UK』とかをビデオとって朝見てた。(イギリス関係のことは)自分が注目しているからかもしれなかったけど、最近増えたような気がする。ジェイミー・オリバー(の『裸のシェフ』)見てました」(久美子、25歳、デザイン会社勤務)

「自分がイギリスに留学するって決めてから、イギリスに関すること目がいくって感じだったから、それまでイギリスなんて記憶になかった。受験勉強で、地理でイギリスを、首都の気候っていうのを無理やり勉強して覚えて。テレビだと『不思議発見』は親が好きで、最近覚えているのは、ハリーポッター、ロードオブザリングの特集。あと、『世界遺産』…(実際に行って見たら)ロンドンが小さかった。ちまってまとまってた。寒くなかった。あと、ホテルの人がけっこう適当だった。どんな感じだろうと思っていたので、がっかりしたという感じではなかったんですけど」(彩、19歳、カフェアルバイト)

また、現地を訪れたことがない者も、メディアの影響の下、ロンドンのイメージを形成していた。

「雑誌、インターネット。『マップル』『ロンドン通信』とかで見ている。テレビはピーターラビットの特集、湖水地方とか。衛星放送とかNHKとかでイギリスの番組を日本で(放送している)。……(ロンドンのイメージは)テムズ川。やっぱビートルズ好きなんでジョン・レノン。みんな優しいイメージ。馬、貴族って感じ。カントリーっぽい家。あとはビッグベン。最近雑誌とか見て、テート・モダンっていうのがかっこいいと思って」(聡、25歳、フリーター)

このように、ある者はイギリス文化に興味を持ちロンドンの情報に普段から熱心にアクセスしていたが、ほかの者はそうではなかった。また、LDグループの大半は、「かっこいい」「洗練されている」「新しい」「歴史的」「寒い」「危険」など肯定的・中立的・否定的側面の混ざったイメージを抱いていた。そして多くの者は、英語を「かっこいい」というよりも、「便利」な「道具」であり仕事の可能性を広げる「手段」だとみなしていた。

では、LDグループに共通にみられる、国際移動を行う真の意義は何だろうか。それはおそらく、P.ブルデューの用語を借りると、英語能力や芸術分野の学位・職業経験などの「文化資本」、およびイギリスのアーティストとのネットワークなどの「社会資本」を獲得して帰国し、東京の「アートワールド(art worlds)」[6]で自分を「卓越化」することだろう。以下のような話がインタビューの中でよく聞かれたのである。

「そもそもの理由は、別に向こうで俳優さんになりたいというわけではなくて、日本でもいいんだけど。留学のなんとかを見たら演劇はイギリスが有名というのを見て。そんな単純な理由でちょっと興味を持って。……アメリカは行きたくなくて。流行に乗ってるっていうか、普通すぎて。最初はブロードウェイとか有名だし、いいかなと思ったけど」(彩、19歳、カフェアルバイト)

LDグループのインフォーマントの父親の多くはホワイトカラーの比較的文化的な職業に就いているが、インフォーマントの約半数は契約社員やフリーターである。そこで、よりよい仕事に就くために、芸術分野で「最も優れている」「西洋」へ行き、英語能力や芸術分野の学位や職業経験を得ようと試みる。そうすれば、いつか日本に帰ったときに、国内の学位や職業経験しかもたない者よりも、よりよい機会に恵まれるだろうと期待しているのだ。「アメリカ」の文化は日本で日常生活の一部となり、また多くの人々に親しみを持たれているので[7]、一部の者は「アメリカ」へ渡ることは「普通すぎる」と感じたようである[8]

1つ指摘しておくと、「ロンドンでの生活は想像できないですね」と愛子(20歳、服飾専門学校生)が言うように、NYグループと比べて、LDグループは目的地での具体的な生活を描写することができなかった。実のところ、目的地にかかわらず、インフォーマントのほぼ全員が日常的に最も頻繁に見聞きする国は「アメリカ」だと述べていた。ロンドンへ渡る者は、ニューヨークへ渡る者ほどには、目的地の情報や映像に日常的に接触する機会がなく、現地での生活を詳細に想像することができないと考えられる。そのため、LDグループのインフォーマントは、肯定的・中立的・否定的な側面が混ざったロンドンのイメージを持っていたのだろう。なぜなら、NYグループはニューヨークを描き出すアメリカ製映画やテレビドラマに頻繁に接触していた。こういった娯楽の要素が強いメディアはニューヨークの魅力的な側面を強調して描き出す傾向がある。他方、LDグループの大半はロンドンを描く映画やドラマにそれほど接触していなかったので、そこまで肯定的な側面が強調されないのではないだろうか。

以上に見てきたように、LDグループは、ヨーロッパの芸術や文化を最も優れていると考え、ロンドンで生活すれば「文化資本」を獲得できると考えていた。このようなロンドンのイメージは、主にイギリス製の映画・テレビ番組、国内のテレビ番組などの電子メディアや日本の雑誌、さらに義務教育・高等教育の影響の下、形成されていた。

 

3-4 人種・民族関係に対する意識

これまで見てきたように、メディア接触と旅行経験は、インフォーマントに比較的肯定的な目的地のイメージをもたらす。他方、口コミは、否定的な側面を伝えるチャンネルとなっていた。

「不動産は日系に行けって言われた。日系じゃないところは、英語ができるのに、みんな詐欺まがいなことにあったって」(陽子、27歳、フリーター)

「(アメリカ人は)すごいフレンドリーでいいイメージあるじゃないですか。意外と、いざというときには冷たいって、ダンスの先生がいっていた」(理恵、27歳、会社員事務)

「(友人がロンドンで)普通に歩いていたら、『くせえよ、中国人』って言われたって」(聡、25歳、フリーター)

このように、インフォーマントは、ニューヨーク/ロンドンに滞在経験のある友人・知人たちの口コミを通して、現地の人々とのさまざまなトラブルを聞いていた。しかし、インフォーマントたちの関心は芸術や大衆文化、観光地にあり、現地の人々に関する事柄については自発的に言及しなかった。

そこで、現地にどのような人々がいるのかを尋ねてみると、インフォーマントが多かれ少なかれ偏ったイメージを持っていることがわかった。まず、NYグループの大半は、ニューヨークの人口は、主に「白人」と「黒人」で構成されていると考えていた。数人はアジア系にも言及するが、ニューヨーク市の人口の約4分の1を占めるヒスパニック系の存在に言及する者はいなかった。また、白人のエスニシティ(例 イタリア人やアイルランド人)や、黒人のエスニシティ(例 アフリカ系黒人やカリブ系黒人)の違いについて述べる者もいなかった。

「日本でいったら東京みたいな所っていってたから。いろんな人が田舎から出て来るみたいな。でも、中国人があんなにいっぱいいるなんて知らなかった。白人と黒人っていうか、本当にアメリカ系っていう以外にも」(香織、22歳、ダンス専門学校生)

「白人と黒人じゃないですか。他に何か?ゲイとかですか?そういうのは全く勉強不足なんで」(健一、25歳、美容師)

LDグループは、「アジア系」「アイルランド系」「南米系」「ユダヤ系」「インド系」などより多くのエスニシティに言及した。しかし、エスニック・マイノリティ[9]が4分の1以上を占めるロンドンに対して、「白人」が強調されたイメージを抱いていた。

「白人は多いですよね。黒人はあまり多いと思わないですけど。……アイルランドとかの人が来て、入り混じっているんじゃないかなあ。気にしたことないんですよ、洋服のことばっかり気にしてて」(直樹、26歳、アパレル会社デザイナー)

「(旅行で行って見て)いろんな人種がいっぱいいるのも最初びっくりしました。イギリス人っていうと『(空飛ぶ)モンティ・パイソン』で見た感じの人たちを想像していたから」(久美子、25歳、デザイン会社勤務)

ニューヨーク/ロンドンの多種多様なエスニック・グループの存在を認識しているいないにかかわらず、インフォーマントたちは現地の人種・民族関係にあまり関心を持っていなかった。M. Ivy (1995:2-3) によれば、日本では「外国」は主に「商品化された記号」として受容される。また、日本の国際化政策は移民へ門戸を開放するのではなく、外国の制度、文化、商品を応用または日本化して国内に取り入れること、あるいは日本文化を海外に普及させることを目的として推し進められてきた。この議論はインフォーマントの状況をうまく説明している。この若者たちは、国内でメディアを通して日常的に欧米の情報や大衆文化に接し、現地に旅行もしていた。しかし、このような経験を通しても、そこで暮らす多様な人々の人種・民族関係に関心が向かず、芸術や大衆文化、商品や観光地を中心に「欧米」「西洋」「ニューヨーク」「ロンドン」のイメージを形成していたのである。

だがインフォーマントたちは、目的地に到着してから、このイメージと「現実」のギャップに気付くようになる。移住後、自分自身がエスニック・マイノリティとなったために、人種差別や住居・雇用における障害を生まれて初めて経験するようになったのだ。たとえば、真由美はそのギャップについてこう語る。

「ニューヨークに来る前は、パーティーに行って、外人とハングアウトして、英語もいっぱいしゃべって、ダンスもやって(と思っていた)……。やりたい事が1つもできてない」(真由美、26歳、渡米10ヶ月後)

 

インフォーマントたちは、「欧米」「西洋」で文化生産に関わること、アメリカ人/イギリス人の友人を作ることを期待して国際移動を行った。しかし、このメディアが構築するイメージに反して、主流社会には参加することは難しく、むしろエスニック・マイノリティとして周縁化されるという「現実」に向き合わなければならなかったのである。

 

4 おわりに

本稿で見てきたように、メディア、とくにAppaduraiが指摘する電子メディア(テレビ番組、映画、ウェブサイトなど)は、この若者の目的地に対するイメージと移住動機の形成に大きな影響を与えていた。一方で、インフォーマントの主観では、「アメリカ」はもはや異国的で遠い憧憬の対象ではなく、親しみやすい身近な存在となっていた。そして、その「アメリカ」の中でも、とくに豊富な成功の機会があるとメディアを通して見聞きするニューヨークという場所で、「普通の」日常生活を再スタートさせたいと願っていた。他方、明治時代から今日まで、「文化資本」を獲得するための洋行は脈々と続いている。しかし、過去には主に比較的少数のエリートが行っていた洋行が、90年代には多数の若者たちにまで広がった。「アメリカ」が日常生活の一部として取り込まれる一方で、海外旅行の大衆化、外国に関する情報を得るチャンネルの増加、人々の欲求、関心、趣味の多様化が進んだ。このような状況の中で、一部のインフォーマントは、ヨーロッパに象徴される「文化的な」「西洋」イメージを抱き、自分自身の「卓越化」を達成するために、ロンドンへ渡る計画を立て始めた。

以上のことから、本事例においては、「メディアと移住」の仮説は支持されたといえよう。上記のような特定のイメージの影響がなければ、彼ら彼女らは、文化的活動や英会話をするためだけに、あえて国際移動を試みなかったと考えられる。

最後に、重要点として、インフォーマントたちがニューヨーク/ロンドンの人種・民族関係をよく理解していなかったことを指摘しておきたい。この1つの理由として、彼ら彼女らは、「単一民族神話」(小熊、1995)の影響の下、日本で暮らしている間、人種・民族関係を意識的に経験していなかったことがあげられる。もう1つの理由としては、メディアがニューヨーク/ロンドンの肯定的な側面をより多く伝えるので、移住者が経験するかもしれない人種差別に関する情報を得る機会が少なかったことがあげられる。現地に渡った友人はインフォーマントに実情を伝えようとしていた。しかし、メディアが構築するイメージの影響の下、インフォーマントたちはオプティミズムに溢れ、そういった忠告に真剣に向き合うことができなかったのである。

 

引用文献

Appadurai, A. (1996=2004) Modernity at Large, Minneapolis: University of Minnesota Press(=門田健一訳 さまよえる近代 平凡社).

Ang, I. (1985) Watching Dallas, Routledge.

Becker, H. (1982) Art Worlds, University of California Press.

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吉見俊哉(2001)アメリカを欲望/忘却する戦後 「現代思想」 29巻9号44-63頁.

[1] マクロレベルで2国間に労働力需給の不均衡が存在し、ミクロレベルで個々の行為者が労働による利益が移住費用を上回ると判断したときに、移住が発生する(Massey et al., 1993)。

[2]直接投資により外国企業が低開発諸国に進出すると、現地の労働者が投資国の文化を身近に感じるようになる。その結果、人々が投資国における労働機会を認知し、国際移動が1つの選択として現れる(Sassen, 1988=1992)。

[3] この理論は、とくにマクロとミクロを媒介するメゾレベルに注目し、移住斡旋業者や親戚関係などの社会的ネットワークを国際移動の要因として重視する。

[4]若年層の失業率・非正規雇用の増加、親子関係など。詳しくは、藤田(2008)を参照。

[5] むしろ、大半が日本は「見た目」「文化」「人種」「メンタル」「地図」が似ているから、「アジア」の一員であると述べた。こういった意見は、おそらく、1990年代以降に日本で唱えられた「アジア回帰」の影響を受けたものである(岩渕、2001:124)。

[6] 「アートワールド」とは,ハワード・ベッカーの用語(H. Becker, Art Worlds, University of California Press, 1982)で,「芸術と言われる特徴的なものの生産に携わるすべての人々によって構成される世界」を意味する。

[7]吉見俊哉(1996;2001)は、50年代後半以降、2つの「アメリカ」が出現し始めたと論じている。銀座・六本木・原宿など米軍施設のあった場所から生まれた若者文化が、後の東京のファッショナブルな消費文化の拠点になっていくように、その一つはイメージとして熱心に消費され始めた「アメリカ」である。もう一つは、福生や横須賀など「暴力」として反米闘争の標的となる基地の「アメリカ」である。これらはしかし、実のところ、同じアメリカの異なる側面である。このような「アメリカ」のイメージは、人々が日常生活の中での「アメリカ」との直接的遭遇が具体性を失っていくのと反比例するかのように、より具体的で、その中に日本人自身のアイデンティティが書き込まれたものになっていった。戦後日本の中で「アメリカ」は間接化され、メディア化され、イメージ化されることで、逆に日常意識とアイデンティティを内側から強力に再編するようになっていった。70年代末以降の日本では、「アメリカ」はもはや明確な限界や輪郭を持った「他者」として名指され憧憬や反感を持ってまなざされる存在ではなくなり、この時点までに日本社会は深く「アメリカ」という存在を自己の中に取り込んでしまったという。

[8]事実、イギリスへ「留学」する日本人の若者の数は、アメリカへのそれの3分の1以下である。

[9] Brah(1996)が指摘するように、「マイノリティ」という語の使用には問題がある。この数上の2分法(マジョリティ/マイノリティ)は、中心-周縁の権力関係の問題を数の問題に置き換えてしまうからである。このような言説が繰り返されることによって、マイノリティ=周縁という状態が本質的なものとして受け入れられる可能性がある。

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