国境を越えるメディアとナショナル・アイデンティティ #トランスナショナリズム

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国境を越えるメディアとナショナル・アイデンティティ――米国・英国における日本人の若者の民族誌的調査から

『マス・コミュニケーション研究』(日本マス・コミュニケーション学会)70号, p.97-p.115.

藤田結子

 

1.はじめに

 

1990年代以降,さまざまな学問領域でトランスナショナリズム研究が活発になっている。「トランスナショナリズム」という概念には,研究対象(例 政府機関,NGO,報道機関,移住者など)によって多様な定義が存在する。文化人類学や社会学でこの概念を広めたNations Unbound (1994)では,移住者に焦点が当てられ,トランスナショナリズムは「移住者が送り出し国と受け入れ国をつなぐ多様な社会関係を創出し維持する過程」と定義されている。つまり,今日多くの人々が,二国またはそれ以上の国々に渡ってネットワークやコミュニティを形成し,その越境的な空間に生きているというのである(Basch et al 1994,7頁)。これまで社会科学では文化やアイデンティティは地理的な場所に結びつけられる傾向にあった。たとえば,アメリカ合衆国という場所にはアメリカ文化があり,「アメリカ人」としての「ナショナル・アイデンティティ」(本稿ではとくに「国民としての同一性」を意味する[1])を抱く人々がいるという前提で考えられていた。しかし,これでは上記のような現象を分析するには限界があり,新たな分析枠組が必要となっているのである。

このような議論が発展し,最近ではトランスナショナル・アイデンティティの創出にも関心が寄せられている。従来,国際移動やエスニシティの研究では,19世紀末から20世紀初頭の白人移民の経験にもとづき,移住者は受け入れ国の主流文化に徐々に「同化」すると考えられていた。米国の場合であれば,ヨーロッパ諸国からの移民はしだいに自己を「アメリカ人」とみなすようになるわけである。しかし,1960年代以降,アジアや中南米出身の人々の大量移動が始まった。そして,これらの移住者が独自の文化を維持し,エスニック・マイノリティとしてのアイデンティティ(例「日系アメリカ人」「インド系イギリス人」)を形成する様子が観察された。このような状況の下,「文化多元主義」が盛んに議論されるようになった。「同化」と「文化多元主義」は上記のように異なるアイデンティティ形成の仕方を示すが,移住者とその子孫が受け入れ国に定住した結果,母国への帰属意識にもとづくアイデンティティが,受け入れ国へのそれにシフトするという点では共通している。

他方,「トランスナショナル・アイデンティティ」とは,これにも多様な定義が存在するが,一般的に,国境を越える共同体の一員としての同一性を意味する。具体的には,二国またはそれ以上の国々に渡る同胞,経済,政治,イデオロギー,文化,宗教などにもとづいた共同体(例 西インド諸島出身者の越境ネットワーク,環境団体,イスラム世界など)を指すことが多い。つまり,「トランスナショナル」なアイデンティティとは,国境を越えている,さらに「国民」という枠組みを超えている同一性である。社会学者M.C.ウォーターズの説明によれば,トランスナショナリズムの観点では,移住者のアイデンティティは,「同化」「文化多元主義」のように,ある国(送り出し国)からほかの国(受け入れ国)へと発展しない。そうではなくて,人々は自己や送り出し国,受け入れ国を変化させるような仕方で越境空間に存在する。このような考え方はポストモダン的思想潮流を反映しているといわれている[2] (Waters 1999,90頁)。

本稿は,このトランスナショナリズム研究の中心的課題のひとつである,移住者のアイデンティティの問題に取り組みたい。とくに,国境を越えるメディアが移住者のアイデンティティに及ぼす影響について,この分野の代表的研究者であるB.アンダーソンとA.アパデュライが異なる見解を示していることに着目し,この2人の議論の考察を試みる。

 

 

 2.国境を越えるメディアと移住者のアイデンティティ

 

2-1.「遠隔地ナショナリズム」と「ディアスポラの公共圏」

トランスナショナリズムに関する議論では,国境を越えるメディアの重要な役割がしばしば指摘されている。今日,多くの人々が,格段に発達し低価格化した交通手段を用いて,二国間やそれ以上の国々を頻繁に行き来している。そのうえ,過去数十年の間に,世界各地で衛星放送やインターネットが普及し,地理的に離れた国々にいる人々が国境を越えてつながり始めた。つまり,交通手段の発達・低価格化にくわえて,コミュニケーション技術の発達があったからこそ,トランスナショナルな共同体やアイデンティティが出現したといわれているのだ。

このような議論は,アンダーソンの『想像の共同体』(1983=1991)をもとに展開されることが多い。ところが彼自身は「遠隔地ナショナリズムの出現」(1992=1993)を指摘し,トランスナショナリズムとは異なる考え方を示した。彼の議論によれば,テレックス,電話,郵便など以前では考えられなかったような方法で,移住者はホスト社会や出身社会の仲間と接触し続けることが可能になり,新しい永住の地をみつけるのではなく,出稼ぎ型の移住を続けようと夢みるようになった。このような移住者の多くは法律上では受け入れ国で市民権を取り快適な生活を営んでいる国民だが,その国にはほとんど愛着を感じていない。むしろ,メディアを通して寸時の距離に存在するようになった母国を想像し,その一員としてのアイデンティティを抱き続ける。アンダーソンは,ナショナリズムが時代遅れなものになったとはとうていいえないと述べている(Anderson 1992=1993)。

彼の議論を支持する調査結果も報告されている。L. Siew-Peng(2001)は,1950年代から80年代に英国へ移り住んだ香港人と衛星放送視聴に関する調査を実施した。英国では1997年にHK-TVBが衛星放送を開始し,年配の香港人たちは香港からのニュースや情報番組を頻繁に視聴するようになった。その結果,英国で社会保障や高い生活水準を享受して数十年間暮らしているにもかかわらず,衛星放送視聴を通して故郷を想像し,自分が香港に属しているという意識を強めていったという。

他方,トランスナショナリズムの代表的論者のアパデュライは,アンダーソンとは異なる見解を示す。アンダーソン(1983=1991)は,人々が国民を想像するうえで新聞に代表される印刷メディアが決定的な役割を果たしたことを明らかにした。しかし,アパデュライによれば,今日では印刷メディアの文字以上に「電子メディア」の映像が人々の「想像力の働き」に大きな影響を及ぼすようになった。なぜなら,テレビ,ビデオ,コンピューターなどの電子メディアが登場し,人々はマスメディアが創り出す大量の映像に日々晒されるようになった。その結果,想像力はもはやカリスマ的な専門家が独占するものではなくなり,ありふれた人々の日常的実践となったのである。そして,このような電子メディアの送り手は,世界各地に離散するオーディエンスとつながり始めた。さらに,オーディエンス同士も,電子メディアを通して,国境を越えて「対話」をするようになった。その結果,「ディアスポラの公共圏」が多数出現し始めたというのである[3](Appadurai 1996=2004)。

  1. Robins and A. Aksoyのロンドンのトルコ系キプロス人女性たちに関する調査は,このアパデュライの議論が現実のものとなりつつあることを示唆している。被調査者のうち若い女性数名は,バイリンガルで現地の文化にも適応していた。1990年に英国でトルコからの衛星放送が開始されると,彼女たちはトルコ製テレビ番組を視聴し始めた。このテレビ視聴を通して,トルコの文化や人々についての理解を深め,自己の「トルコ人らしさ」を再発見するようになった。その結果,トルコ,キプロス,英国の間に生きる,国民というカテゴリーで表せない存在としての自己を想像し始めたのである(Robins and Aksoy 2001)。

上記の調査結果を考慮すると,アンダーソンの説とアパデュライの説のどちらかひとつだけが正しいとはいえないことがわかる。これは,グローバリゼーションが複合的現象であるからだと考えられる。つまり,在来型の国民国家の縛りが緩まる一方(Giddens 1999=2001,34頁),文化的・民族的に象徴的な場所がより重要になり「想像の共同体」への愛着が強まるなど,両面がみられるからである(Gupta and Ferguson 1997)。

しかし,アパデュライを含む何人かの研究者は,将来的には国民という共同体は衰退していくと推測する。なぜなら,長期的にみれば「ディアスポラの公共圏」は人々を国民という形式が持つ制約から開放し,世界の文化的自由と持続可能な正義が国民国家という画一的で普遍的な存在の前提を取り払う。その結果,ポストナショナルな社会組織や秩序が形成されるという(Appadurai 1996=2004,54-55頁)。このようにトランスナショナリズムをめぐる議論はさらに広がりをみせる傾向を示している。

これらの議論をどのような方法で確かめていけばよいのだろうか。今のところ,これらの議論は仮説の段階にあり,調査によって検証されるべきである。しかし,上記の2つの調査のように,国境を越えるメディアの利用と移住者のアイデンティティの関連を明らかにした調査はあまりみられない。そこで,本稿では,日本人移住者の事例を用いて上記の説の考察を試みる。

 

2-2. 日本人移住者のケース

まず,先行研究の結果を整理したい。先行研究は国境を越えるメディアの利用の影響を扱ってはいないものの,日本人移住者のアイデンティティに関する知見の蓄積をもたらしている。「日本人」という国民としてのアイデンティティは,主に,日本の政府,教育機関,メディア,産業,さらに日本と欧米の知識人などによる「日本人論」の言説を通して構築されてきた(西川 1996, 吉野 1997ほか)。そして,このようなアイデンティティを携えて,多数の人々が海を渡った。19世紀末から20世紀初頭に米国へ渡った一世たちの場合,米国市民になろうとしても,厳しい社会的差別のなか日系コミュニティの中で暮らすしか選択肢がなかった(Takaki 1989)。後の世代は,主流社会に参入し始め,米国市民として「日系アメリカ人」アイデンティティを抱くようになった。そうであっても,二世,三世の多くは,日系コミュニティへの強い帰属意識を一世から引き継いでいた(Fugita and O’Brien 1991, 竹沢1994)。

また,今日の欧米やアジア諸国に暮らす駐在員男性やその家族を対象とした複数の調査がみられるが,共通して「日本人らしさ」を積極的に保持する様子が報告されている(Sakai 2000, Ben-Ari 2003ほか)。さらに,駐在員とは異なり,「自発的に」海外移住した女性たちを対象とした調査も行われている。70年代に英国に移住した女性たちは,英国人と結婚し現地に長年暮らしていても,自己を「日本人」とみなしていた(Sakai 2000)。70年代以降オーストラリアに移住した女性たちは,何年たっても日本へ帰国する意思を持ち続けていた(佐藤 1993)。

このように,近年の移住者は,「日本人」としての国民アイデンティティを保持する傾向を示す。これには,経済水準の向上などの要因にくわえ,戦後に広まった「単一民族国家」観(小熊 1995)が影響しているのではないだろうか。世界の多くの国々で国民が自国を多民族国家だとみなしている状況を考えると,A.スミス(1991)がいうように,一国内での「単一民族国家」観の広い浸透は日本に特徴的なことである(とはいえ,日本に限られたことではない[4])。たとえば,英国のジャマイカ系の人々は「英国人(British)」(国民)「ジャマイカ人」(民族)「黒人」(人種[5])という複合的アイデンティティを持つ。そのうえ,宗教アイデンティティを持つ者も少なくない。しかし,日本に住む日本人の場合,「日本人」が国民・民族・人種のすべてのアイデンティティを兼ねる。また,宗教を持つ者が非常に少ない。この単一のアイデンティティを深く内面化していることが,「日本人であること」から離れられない要因の一つとなっている可能性がある。

しかし,K. Kelskyのように,日本の若者たちがトランスナショナル・アイデンティティを創出する可能性を指摘する研究者もいる。彼女は,仕事や勉学のために日本から米国に移住した女性たちが,精神的・物理的に「日本」と「西洋」の間を自由に行き来し,「ディアスポラ的な」アイデンティティを形成していると考える(Kelsky 2001)。この指摘のように,国境を越えるメディアや交通手段が発達した現在では,トランスナショナル・アイデンティティの創出がみられるかもしれない。だが,そのような条件の下でも,これまで通り,日本への帰属を想像し続ける傾向が強いという可能性も否定できない。このように,日本人移住者を対象とした先行研究でも異なる見解がみられる。以上のことから,本稿では,「国境を越えるメディアは,今日の日本人移住者にどのようなアイデンティティ形成を促しているのか」という問いを設定し,事例調査でこれを考察したい。

事例には,先行研究で「日本人らしさ」を保持する傾向が繰り返し指摘されてきた駐在員とその家族と比較し,文化的に寛容で行動や滞在期間が自由だと思われる若者を取り上げる。80年代以降,国際移動が活発化し,受け入れ国送り出し国が多様化している。世界各地で,労働者だけでなく,多様な動機付けと移動パターンを示す高度専門職や若者などの移住者が増加している(Castles and Miller 2003, Vertovec 2006)。日本の場合,1985年の在留邦人数は約48万人であったが,2004年には戦後初めて100万人を超えた。また,1985年に「留学」を渡航目的として申告した人数は2万470人であったが,2000年には約10倍の19万3779人となった。その行き先は,米国(8万7157人,44%)と英国(2万6297人,14%)が半数を占める(法務省出入国管理統計2000,外務省海外在留邦人統計 2005)。

調査結果報告の前に「移住」「移住者」の定義について述べておきたい。新社会学辞典(1993)では,「移住」を「国境を越えて他国に移り住むこと。経済的により豊かな生活を求めて移住するというのが一般的であるが,宗教的・政治的迫害,戦乱,自然災害からの脱出など,移住の目的はさまざまである」としている。このような動機付け,移動パターンの多様化により,最近の英語文献でも,「international migration」という語は狭義の永住のための移住ではなく,広義の国際移動を表すようになっている。「migrant」も永住移民に限らず,広く二国間以上を移動する人々を指すことが多い。この現状から,本研究では広義の解釈を用い,「移住」は「ある国からほかの国へ移り住むこと」を意味し,「移住者」を「その行為者」と定義する。

 

 

3. 調査方法

 

方法として,越境現象の分析に有効な「複数の『サイト』のエスノグラフィー(multi-sited ethnography)」を採用し,若者が東京からニューヨークまたはロンドンへ移り住む過程を「追跡」した。これは文化人類学者G.マーカスによって提案された方法であり,人々や物が国境を越えて移動する「過程」を考察することを目的とする(Marcus 1995)。したがって,母集団の考えや態度についての一般化をめざすものではない。

インフォーマントは,2003年に東京の米国大使館やブリティッシュカウンシルなどの渡航に関連する施設で探した。18歳から30歳の訪問者のうち,ニューヨークまたはロンドンに「移住」する計画を立てていて,かつ以前に外国在住経験の無い者に調査協力を依頼した。そして,22名が集まった。先述したとおり,人類学的フィールドワークのサンプルであるためその規模は小さい。

インフォーマントの平均年齢は25歳,女性15人,男性7人である(上記の施設を訪問する若者の大半が女性であったことから女性が多く集まった。実際,法務省出入国管理統計出国者数においても20代の出国者の約7割が女性である)。出身地は首都圏16人,地方6人。このうち10人がニューヨーク,12人がロンドンへ渡る計画を立てていた(以下,NYグループ,LDグループと呼称)。

NYグループのインフォーマントの最終学歴は,高卒5人,短大卒3人,四大卒2人,職業は事務職などの会社員,派遣社員3人,サービス,販売職などのアルバイト6人,学生1人。他方,LDグループの最終学歴は,高卒4人,短大卒2人,四大卒6人,職業は事務,技術職の会社員4人,団体職員1人,サービス,販売業などのアルバイト4人,学生3人であった。上記のように,「移住」を志向する若者たちをリクルートしたため,ほぼ全員が,可能であれば受け入れ国で仕事をみつけ,現地で長期間暮らすことを希望していた(ビザについては,渡航目的にかかわらず,全員が入国のために学生ビザを取得した)。出国の時点で、帰国子女である1名を除き,インフォーマントたちは初級レベルの英語能力を有していた。

2003年から2006年にかけて,この22人の若者たちが日本からニューヨークまたはロンドンに移り住む過程を参与観察した。また,現地で暮らしている間,各人につき平均毎年3回のインタビューを行った。経歴,家族関係,ニューヨークまたはロンドンに住む動機,現地での人間関係,生活,メディア利用,日本に対する考えなど数十の項目について質問した。合計100回以上のインタビューの結果をコーディングして分析した[6]

 

 

4.調査結果

 

4‐1.テレビ,ビデオの利用

ニューヨークでは,テレビジャパン[7]が毎日24時間,フジサンケイコミュニケーションズインターナショナル(FCI)[8]が毎日約2時間,日本語テレビ番組を放送していた。テレビジャパンの契約料は月30ドル程度であるため,これを契約するインフォーマントはいなかった。他方,FCIの番組は比較的安価なケーブルテレビのパッケージに入っているWMBC‐TVで放送されており,ほぼ全員がこれを週に数回視聴していた。平日朝7時からの1時間は「ニュースエクスプレスFCI[9]」が,毎日夜1時間は日本で人気のあるドラマやバラエティが放送されていた。

インフォーマントたちはニューヨークに住み始めた当初,これらのテレビ番組をみながら日本と米国を比較し始めた。渡米前に日本で行ったインタビューにおいて,NYグループの女性の大半は「古いものがいつまでも変らないっていうのは感じたんですよ。……人間関係とか年功序列とか」(F,女性,26歳,渡米前)というように,日本人や日本社会に対して多かれ少なかれ批判的な意見を述べていた。同時にニューヨークは誰でも自由やチャンスが得られる場所だと考えており,これが移住を行う動機のひとつとなっていた。

このような経過を経て,現地で日本語テレビ番組を視聴するようになり,何人かの女性インフォーマントは日本よりも米国が良いという考えを強めていった。

「こっち来てよかったなって思う。日本のニュースみて,どうも日本が小さい気がする。携帯電話がクローン化されたとか,盗撮がどうのこうのとか,みんな悪いことして」(M,女性,26歳,渡米3ヶ月後)

また,ニューヨークで日本のテレビ番組を視聴することによって,多様な人種・民族のなかでは,日本人はアジア系のひとつのエスニック・マイノリティ・グループにしか過ぎないという点に関心を払うようになった者もいた。

「日本の芸能人も日本でみたときは何とも思わなかったけど,ニューヨークでみるとみんなチャイニーズにみえちゃう。アジアの中で日本人って特別って思っていたのに」(H,女性,23歳,渡米5ヶ月後)

インフォーマントたちは,最初は英語上達のために米国製テレビ番組をみようと努力していた。しかし,その半数ほどは滞在期間が長くなるにつれ日本語番組をより多く視聴するようになっていった。さらに数人は日系ビデオレンタルや友人から借りて,日本製テレビ番組を頻繁に視聴するようになっていった。

「ケーブルテレビ(の日本語放送)じゃたりない。決められた時間しかみれないじゃないですか。しかも1時間。日曜日の夜にビール飲みながらみたいなって言うときに昔のビデオを。『めちゃイケ』なんて(同じビデオを)5,6回みてますから。……こっちのテレビはもし英語しゃべれるようになってもみない。面白くない。CMから作りからアメリカ人の性質がでてる。ガサツと言うかセンスがない」(T,男性,26歳,渡米1年後)

「(日本のビデオを)土曜日に借りて帰る。今は『ロンドンハーツ』『ぷっすま』『銭形金太郎』。癒しになりますね。日本の笑いっていうのが。……(米国のバラエティ番組は)ちょっとみたりするけどかえってストレスがたまる。英語も内容も両方」(Y,女性,29歳,渡米1年9ヶ月後)

このような視聴行動や心情は,ホスト社会の言語や文化になかなか適応できず,出身社会の人々や文化を描く映像をみたいという欲求が高まったために生じたと考えられる。日本製テレビ番組をみれば,バーチャルな世界でいつでも日本に帰ることができ,自分の属する共同体がそこにあると感じることができる。また,日本製テレビ番組をみれば,言葉も文化も十分に理解できない受け入れ国の生活のなかで深刻な問題に直面した場合に,自分にはいつでも帰れる「故郷」があるということを確認することができる。

他方,ロンドンでは,JSTV[10]が毎日24時間日本のテレビ番組を放送していた。しかし,契約料が月30ポンド程度かかるので,インフォーマントのなかにこれを視聴するものはいなかった。ロンドンでは比較的収入の低い若者たちが視聴できる低価格の日本語放送がなく,日系ビデオレンタル店も少なかった。それでも2人の男性インフォーマントはファイル交換ソフトを利用し,日本で放送されている番組をインターネットでダウンロードして頻繁に視聴していた。

「Winnyでダウンロードしてみてます。『オレンジデイズ』とか日本でやってるじゃないですか。全部みてますからね。映画も全部新しいの。『世界の中心で,愛をさけぶ』とか。……日本は,なんでもプログラムが細かい。繊細。ちゃんと消費者の心をつかんでいる。……(英国の)ドラマってこうしてみると,ソープオペラとかしかないじゃないですか」(N,男性,27歳,渡英11ヶ月後)

このようにLDグループの男性インフォーマントにも,NYグループと同様の視聴行動や心情が観察された。

出国前に日本で行ったインタビューにおいて,両グループの男性インフォーマントたちは,日本人であることの誇りや愛国心について語り,女性インフォーマントたちよりも日本に対する肯定的な態度を示していた。そして渡米・渡英後,数人の男性のインフォーマントは外から日本を眺めることで,日本の歴史や伝統文化に以前より関心を持つようになり,古い日本映画などに接触し始めた。

「家で戦争ものとかよくみるんですよ。『東京裁判』とか。戦争のないときに生まれてよかったねとか話してて。日本はその当時も結構強かったでしょ,ロシアに勝ったり。……日本はその当時アジアのなかで強かったんだな。そう思うと,日本ってそのなかで群を抜いて頑張ってたんだなって。日本っていい国だなって思いましたね」(N,男性,27歳,渡英11ヶ月後)

このように,メディアは国境を越えて母国の記憶を映し出し,異国に住む国民の愛国心を促す役割を果たしていた。

 

4‐2.新聞の利用

ニューヨークには10紙以上の日本語新聞やフリーペーパーが存在する。これらのうち,インフォーマントはNYジャピオン[11]と日刊サン[12]に最も頻繁に接触していた。ロンドンには5紙以上存在し,インフォーマントはジャーニー[13]とニュースダイジェスト[14]を最もよく読んでいた。白水(2005)は受け入れ国制作でローカルな情報が豊富な「居住国産のエスニック・メディア」と,送り出し国から輸入・衛星経由で送られる「出自国メディア」を区別している。ニューヨークの2紙は現地で制作されるが,その内容は後者に近い。なぜなら,その紙面の大半は日本の通信社や新聞社から配信された記事で占められているからである。ロンドンの2紙は,日本から配信されたニュースにくわえ,ある程度英国のニュースを掲載していた。調査の期間,4紙ともローカルな日系コミュニティのニュースをあまり掲載していなかった。

両都市において以下のような共通の傾向がみられた。まず,インフォーマントたちは上記の新聞を読むことで,受け入れ国のニュースや,移民法や観光案内などの社会制度や文化について情報を得ていた。また,何人かは人種・民族関係に関する記事を読み,そういった問題に対する理解を以前よりも深めていた。

「人種差別を感じる瞬間みたいなのが,何ページにも渡って書いてあった。……日本人がレストラン行って,周りがみんな白人のカップルで,もうひとつのカップルがアジア人で。食事はどうですかって聞きに来てくれなかったのが自分のところともうひとつのところだったっていう話が書いてあって」(C,女性,26歳,渡米6ヶ月後)

さらに,インフォーマントたちは,広告やクラシファイドをみて,日系商店,医院および同胞が提供する仕事,住居に関する情報を収集していた。しかし,紙面のなかで,彼ら彼女らが最も高い関心を示しよく読んでいたのは,その大半を占める日本からのニュースであった。

「学校の隣に(日系食料品店の)ジャスマートがあるから,(取ってきて)だいたい全部読みます。いやもう懐かしいですよ,ずっと日本のことしか考えてないですよ。……気になるのはやっぱ少年犯罪とか。日刊サンかテレビで。日本人の頭はすごいなあとか思って。殺人事件にしてもこっちはパーンとかでおしまいじゃないですか。日本は理解不能な犯罪みたいなのすごく多い」(T,男性,26歳,渡米1年後)

日刊サンを除いた3紙は週刊なので,掲載されているニュースの多くは古いニュースであった。インフォーマントたちはこの点を指摘していたが,以下の例が示すように,それでも既に見聞きしたニュースを繰り返し読んでいた。

「つい最近,だれだれが15歳の年下と結婚とか載ってた。あれもネットでみた後,ジャーニーみたら載ってたから。結構タイムリー」(N,男性,26歳,渡英3ヶ月後)

Sampedro(1998)によれば,受け入れ国にいながら遅いニュースを読む行為は自分のアイデンティティや故郷を持ち続けるための文化的な儀式であるという。つまり,同じような話を繰り返し読むことによって,見逃したことがないか,また母国の話題から取り残されていないかを確かめ,自分がいつまでのその共同体の一員であろうとする。したがって,遅いニュースは「情報」というよりも「確認」の機能を果たすのである。この議論が指摘するように,インフォーマントたちも日系紙の遅いニュースを読み,日本での出来事を再確認したり,同胞と話題を共有したりしていた。このように,日系紙は,インフォーマントたちが「日本人であること」や母国日本を想像することを助けていたと考えられる。

 

4‐3.インターネット,国際電話の利用

両都市で,インフォーマントのほぼ全員がインターネットを利用し日本語のニュースを読んでいた。大半がYahoo JapanかExcite Japanのニュースヘッドラインを週に数回みていた。さらに数人はasahi.comやYomiuri Onlineを訪れていた。また,ほぼ全員がEメールやチャットを頻繁に利用して日本の家族や友人と連絡をとっており,物理的な距離にかかわらず親密な関係を保っていた。

「父親とネットのチャットでほとんど毎日話したりとか。家族とは仲良く。母親はメッセンジャーやらないんで。……写真をとって送ったり。向こうは携帯のメールが盛んだから,私のEメールから向こうの携帯に」(F,女性,27歳,渡米1年後)

国際電話はインターネットに比べて費用がかかるので,日本に恋人がいる者以外は,自分から日本へ電話をかけることは少なかった。しかし,何人かの女性インフォーマントは日本に住む家族からの国際電話を月に数回受けていた。

「電話は2週間に1回くらいで。母親とですね。……私があんまり思っていることを言わないせいもあって,こっちにずっと住むのかどうかって聞いてきて。…来る前あんまり(家族との関係が)うまくいってなかったんですけど,やっぱり離れてみてそろそろ向こうも会いたい,こっちもちょっと会いたいなあって」(E,女性,23歳,渡英後11ヶ月)

これらが例示するように,女性インフォーマントの場合,親がEメールや国際電話を用いて娘の行動を把握しようとする傾向がみられ,同時に,初めて一人暮らしをする娘を精神的に支えようともしていた。Eの事例が示すように,故郷の家族をより深く思いやるようになり,その絆を強める様子がしばしば観察された。

 

4‐4.二国間の移動性

インフォーマントのほぼ全員が,親戚の結婚式,歯の保険診療,休暇などの目的で,毎年1,2回格安航空券を利用して日本に里帰りしていた。これは日本と受け入れ国での生活を比較する機会となっていた。受け入れ国で暮らし始めた後,二国間を行き来するようになり,2人の女性インフォーマントは日本に対する否定的な印象を強めていった。しかし,インフォーマントの大半は,以前日本人や日本に対して否定的な意見を述べていた者も含め,日本が「良い国」であることに気づいたと述べていた。

「(日本に行って)カルチャーショックになるかなと思ったけど全然なかった。……やっぱ良いところだなって。ファミレスの店員が丁寧。(米国人と比べて)みんな常識もあるし」(M,女性,27歳,渡米9ヶ月後)

「結局,日本人って,すごい自分たちの国とか政治とかにに文句言ったりしてるけど,一回外にでると,日本が便利で豊かでちゃんとしてる国(と感じる)。……冷たいとかいうけどやっぱり人だって親切だし。人種も統一されているから。ある意味,みんなが守られてる。いかに自分が恵まれてて便利かわかってない。イギリスに来るまでほんとに身にしみては思ってなかった」(Y,女性,19歳,渡英7ヶ月後)

Yの場合,日本は「人種も統一されている」と述べている。彼女は日本にいるときには,自らが「日本人」というエスニック・マジョリティであり,アイヌや在日コリアンなどのエスニック・マイノリティの存在に関心を払っていなかった。しかし,ホスト社会では,自分自身がエスニック・マイノリティとなる。このような状況の下,送り出し国と受け入れ国を行き来し,両国での人々の対応や人間関係の運び方を比較し始めた。インフォーマントの多くは送り出し国と受け入れ国で自分の社会的位置が異なるという構造を十分に理解してはいなかった。しかし,日本ではその言語や文化の問題がないうえに,人種差別を受けたりすることがないので,日本をより「住みやすく」「良い」国だと感じるようになったと考えられる。

 

4-5. 「日本人」としてのアイデンティティ

以上のように,国境を越えるメディアの利用や二国間移動を通して,インフォーマントたちは自らのアイデンティティを強く意識し始めた。渡米・渡英当初,数人の女性インフォーマントは「アメリカ人」「イギリス人」(のよう)になりたいと述べていた。しかし,滞在期間が長くなるにつれ,以下の例のように,自分の「日本人らしさ」を再確認するようになっていった。

「日本人に生まれてきたっていうのもあるし,両親とかおばあちゃんがみんな日本人だし。……前はアメリカ人になりたいって思ったけど,今は日本人としてアメリカでの生活を楽しみたい」(N,女性,21歳,渡米1年4ヶ月後)

「白人だったらもうちょっと待遇が良かったかしらとか思うけど。だからといって,イギリス人になりたかったわけではないなあと思って。日本人でよかったなってすごく思うから。国籍とかは破棄は絶対にしない。自分の歴史には誇りを持っていて」(Y,女性,21歳,渡英1年9ヶ月後)

滞在期間が長くなるにつれ,数人は仕事や現地の恋人のために国の永住権取得を考え始めた。しかし,受け入れ国に永住したとしても,自分は「日本人」以外にはなり得ないと語っていた。

「永住権取れたとしても結局日本人だから,俺はね。……日本人コミュニティの中で生活するようになるんだろうから」(R,男性,27歳,渡英2年1ヶ月後)

「国籍がイギリス人になったとしても英語がどれだけうまくなるかわからないし。結局外人なわけで。人格形成の一番大切な時期を日本で過ごしたわけで,考え方の根本的な部分って絶対抜けない。今日国籍を取ったところで,私は今日からイギリス人って思えると思わないし,ずっと日本人でしょう」(K,女性,28歳,渡英2年後)

以上のような経過を経て,ある者は帰国を決め,ほかの者は受け入れ国に残ろうと試み続けた。どちらの場合にも,白人,東アジア出身の人々,日本人の比較を通して,「アジア」に属するという新たなアイデンティティを「発見」する様子が一部の者に観察された。しかし,自己について語るときには,全員が「日本人」であることを強調し,この傾向は移住前よりも強くなっていった。

要するに,トランスナショナリズムの議論で指摘されているように,本調査のインフォーマントも,日本から送られる娯楽番組やニュースに日常的に接触したり,チャット,Eメール,国際電話で日本にいる家族や友人と連絡したりと,国境を越えるメディアを頻繁に利用していた。さらに,受け入れ国と送り出し国を年に数回行き来していた。しかし結果として,これらの要因は,アンダーソンの議論が指摘するような母国への愛着を強める傾向を促したのである。

、えられるれるなぜインフォーマントたちこのような傾向を示したのだろうか。英語能力や文化的慣習の違いなどの要因にくわえ,先述の通り,この若者たちが日本で生まれ育った過程で「単一民族国家」観を深く内面化していたことが影響していると思われる。実際,渡米・渡英前のインタビューにおいて,数人は「日本は日本人の国である」というようなことを述べていた。彼ら彼女らのなかに,知識層の者やとくに民族問題に関心がある者はおらず,そのような考え方に対して批判的な見解を示す者もいなかった。また,アイヌや在日コリアンなどの日本のエスニック・マイノリティの存在や,その人々との交友関係を語った者もいなかった。日本で暮らしていた間,インフォーマントたちは,外国に人種・民族関係や人種差別が存在することを知ってはいたが,そのような状況に対する現実感や,自分が当事者になるという意識をほとんど持っていなかった。

ウォーターズの調査によれば,このインフォーマントたちとは対照的に,西インド諸島出身の移住者たちは,母国で暮らしていた間も,ほかの民族や人種との関係や序列を意識しながら社会生活を営んでいた。そのため,人種差別に対する心構えを持ち,移住後に受け入れ国でエスニック・マイノリティとなっても,そのような状況に対する予備知識や慣れがあったという(Waters 1999)。

しかし,本稿の若者たちの場合,「アングロサクソン」あるいは「イングリッシュ」が優位な社会に移り住んだ後,自分が外国人かつエスニック・マイノリティとなった。現地の人に雇用や入居を断られたり,人種的なからかいを受けたりして,生まれて初めて人種・民族にもとづく関係や序列を実体験から理解するようになった。また,上述のように,現地で日本のテレビ番組や日系紙に接触して,このような問題に対する関心を深めていった。

予想外に多民族社会で周縁化されることによって,この若者たちは自己のアイデンティティを強く意識し始めた。彼ら彼女らにとっては,国民・民族・人種アイデンティティが同一なので,「日本人らしさ」が非常に強調された。また,「日本人らしさ」を再評価すると同時に,自分が民族的に優位でいられる日本への愛着が強まっていった。その際,国境を越えるメディアが映すイメージは日本や「日本人らしさ」を想像するための「資源」となり,インターネットや国際電話は自分の故郷とのつながりを維持し続ける手段となった。以上のような日本の歴史的・社会的背景や個々のインフォーマントが形成してきた主観が要因のひとつとなり,トランスナショナリズムに関する一般的な議論とは逆に「想像力の働き」が作用したと考えられる。

 

 

5.結論

 

結論として,本事例では,国境を越えるメディアの利用は,トランスナショナル・アイデンティティの創出よりも,ナショナル・アイデンティティの想像を促した。以上の結果から,もともと単一民族国家観を抱く人々が国際移動を行った場合,「遠隔地ナショナリズム」に近い心情を抱く傾向が強く,国境を越えるメディアはこの過程において「資源」としての役割を果たすといえるのかもしれない。

この事例調査は移住後3,4年程度の経過を観察したものであり,10年,20年と経過した場合,しだいに新しいアイデンティティを抱き始めるのではないかという問いが生じる。その可能性もあるが,参与観察の結果からインフォーマントの大半はいずれ完全に引き上げて帰国すると予想され[15],そういった経過をたどる者がいても僅かだと思われる。駐在員やその家族,「自発的に」移住した女性たちを対象とした先行研究と同様,本稿の若者の事例も日本人という国民としてのアイデンティティを保持する傾向が強いことを示したといえる。しかし,先行研究が扱った70年代以降の移住者は受け入れ国内にとどまり現地の日本人コミュニティのなかで暮らす傾向を示したが,後者は低価格化した交通手段や発達したコミュニケーション技術を用いて越境者として生きることも可能である。この差により,本稿のインフォーマントを含め,最近の移住者には,長い目でみれば,トランスナショナル・アイデンティティを創出する傾向が生まれるかもしれない。このような変化が起きるとしたら,将来,あるいは近い将来ではないだろうか。この点を明らかにするには,現在から10年,20年後と,日本出身の多様な移住者たちを調査していく必要がある。この点は今後の課題としたいと思う。

最後に,本研究の意義は国境を越えるメディアとアイデンティティの関わりを考察するための一事例を提供することにある。そして,本調査の結果はトランスナショナリズムの一般的な議論とは異なる傾向を示した。つまり,国境を越えるメディアがトランスナショナル・アイデンティティの創出を促すという説が,必ずしも有効でない場合があるということである。ここで主張したいのは,この説が誤りだということではない。そうではなくて,グローバル化のなかでの国民という共同体の行方に関する議論を有意義にするためには,仮説を議論したり,少ない事例調査の結果を一般化したりするだけでは不十分だということである。

今後,異なる歴史的・社会的背景を持つ多様な移住者グループを対象とした事例調査を積み重ねていくべきだと提案したい。その結果,本事例のように国民としてのアイデンティティが強まる傾向が多く観察されるかもしれない。そうであれば,トランスナショナリズムの説は一部の現象を説明するには妥当であるけれども,将来的に国民という共同体が衰退していくとまでは明言できないだろう。あるいは,本事例のような結果は比較的少なく,実際に世界中でトランスナショナル・アイデンティティが創出されていることが明らかになり,ポストナショナルな秩序の出現が現実味をおびてくるかもしれない。

また,世代(一世か二世以降か),言語能力(モノリンガルかバイリンガルか),ジェンダー,階層,滞在期間などの個人の属性が,アイデンティティにどのような影響を及ぼすのかを説明する包括的なモデルはまだみられない。これらの要因についても,より分析を進めていくべきであろう。最終的には,複数の異なる結果を示す事例研究を論理整合的に説明する理論の構築が重要な課題となるだろう。

 

[1]「ネーション」の語が「国民」「民族」等複数の意味を持つように「ナショナル・アイデンティティ」には多様な意味がある。Smith(1991)や吉野(1997)を参照。

[2]つまり,移住者たちは,個人の階層やジェンダーなどによって異なる経験をするので,各々が形成するアイデンティティには差異が生まれるとされている。

[3] また,アパデュライは,アンダーソンの「遠隔地ナショナリズム」と彼の「ディアスポラの公共圏」が頻繁に関連付けられることに触れ,これらは全く異なる概念であると明確に述べている。イスラム世界や環境活動家ネットワークを例にあげ,これらの人々が形成するディアスポラの公共圏は国民国家のボーダーとは全く関係がないと強調している。また,「ディアスポラ」という語は,一般的には,祖国を出て離散して生きる人々,あるいはその場所を指す。

[4] たとえば,韓国やソマリアも「単一民族国家」だといわれている。

[5] 「人種」は,酒井(1996)も指摘するように,自然科学的な概念ではなく歴史的・社会的に構築された概念である。

[6] すべてのインタビューをICレコーダーで録音し,その80%以上を書き起こし,40万字程度を,繰り返し抽出される意識・行動パターンをコード化して分析した。

[7]1991年にテレビジャパンは北米においてDTHまたはCATV経由で放送開始した。日本と同時放送のNHKのニュースをはじめ,ドキュメンタリー,ドラマ,スポーツ,バラエティなどを放送している。

[8] 1982年よりFCIは,米国および欧州に住む300万人近くの日本人向けに日本語によるニュースやエンタテーメント番組を放映している。

[9] 日本の「スーパーニュース」のダイジェストにくわえ,「ABC NEWS」の日本語訳付きなどが放送されている。

[10] JSTVはヨーロッパから中東,北アフリカ,中央アジアに及ぶ地域での日本語放送。ロンドンから1日24時間,NHKにくわえ民放の番組を放送している。

[11] 2001年に創刊。毎週金曜日発行のタブロイド版フリーペーパー。米国東部で約2万3000部発行。

[12] 現在はデイリーサンニューヨーク。1984年にロスアンゼルで創刊。ニューヨーク版は,週6回発行のタブロイド版フリーペーパーで週に5万5000部発行。紙面はサンケイスポーツと共同通信のニュースで,日本とリアルタイムで掲載。

[13] 1998年創刊。毎週木曜日発行B4サイズのフリーペーパー。1万1600部発行。

[14] 1985年創刊。毎週木曜日発行B4サイズのフリーペーパー。1万5000部発行。

[15] その理由のひとつは,この若者たちは受け入れ国で予期せぬ障害に直面すると,自分がエスニック・マジョリティでいられる日本への帰国を考え始める。ビザの延長が不可能になる頃までに,大半が日本に帰国すると予想される。日本の家族とその経済的援助というセーフネットがあるこの若者たちには,受け入れ国で永住権を取得するために必要な時間と資金を費やす動機に乏しいと考えられる。

 

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